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2010年7月1日木曜日

コンテンツ+キャリアという考え方

 奇妙な自作電子楽器による演奏や、おもちゃをプロデュースしているアートユニット「明和電機
中小企業スタイルで活動おしているため、社長の肩書きを持つ土佐信道氏による「社長ブログ

昨日「アートアニメーション」というエントリが投稿された。

アートアニメーションがいかに大変な作業で、いかに収入につながらないかということについて話がされており、その一つの原因として最近のコンテンツ作品の問題(違法コピー・ダウンロード)を取り上げている。

それを付加価値の問題に翻訳しており、非常に興味深い考察だと思った。

強引な言い方をすると、これまで、プラスチックに付加価値をつけて高く売るプラスチック販売会社が、「レコード会社」であった。
紙に付加価値をつけて高く売る紙販売業者が「出版業界」だった。
それは「コンテンツ(情報)」と「キャリアー(物質)」が分離不可能だったから成り立つ商売でしたが、デジタル時代は、それが個人レベルで簡単に分離できるようになってしまった。

ここで同じくコンテンツとプラスチックが融合した「オモチャ」を見てみると、現時点ではそれが分離できない。
「ああ、自分はオモチャを作れてよかった・・・」と思うのは、分離できないゆえ、複製するしかなく、それが即収入になることであろう。



今回はこれをきっかけに考えたことなどをまとめてみた。
例によってグルグルととりとめのない部分もあるので前もってお断りしておきます。

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物質(キャリアー)と分離不可能であれば、商売として成り立つというのはおもしろい。

実際、アニメや映画業界では、昔から作品(コンテンツ)の売り上げだけでなく、
キャラクターグッズをはじめとする「おもちゃ」にその付加価値を乗せて収入を得ている。
中には、それを前提として作られている作品も少なくない。

そういう意味では「おもちゃ」や「本」などの媒体を主体として考え「コンテンツ」はそれらに付加価値を与える、手段ととらえることもできる。
こうなると広告と同じで、人の心を捕らえることができれば勝ちとも言える。

しかしながら広告と違うのは、そこにない価値を「コンテンツ」から容易かつ大量に生み出すことができるということだ。
「広告」は特定の製品やサービスを印象づけることしかできない。無から有を生み出すことを目的としているわけではない。
しかし「コンテンツ」は無から有を生み出すことができる。
これは、いわば現在の錬金術とも言える。


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「キャリアー(物質)」+「付加価値」という考えを、現在のCG業界をとりまく環境に(多少強引だが)あてはめて考えてみた。
雇用する側から見たとき、自分が採用されるのは、自分自身のスキルや経験があるからである。
それをコンテンツと見なした場合、雇用する側からみると自分の肉体はキャリアーである。
コンテンツが「自分独自の物=自分と分離不可能」であれば商売として成り立つ=仕事が得られるということになる。

しかし自分と同じスキルを持つ人が増えた場合、雇用者側から見ると「その人独自の能力ではない=スキルが分離される」ということになる。
それはこちら側からすると仕事を失うことにつながる。

もし、将来仕事を失いたくなければ、自分とは分離不可能なコンテンツを内包する必要がある。
たしかにコンセプトアーティストなどは、分離不可能なコンテンツを内包しており、はたから見ても仕事を失うことはないように思えてくる。

まぁ、こういう分析をするまでもなく、それはわかりきったことだが。



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お金も同じである。

実際の所、お金も、金属または紙でできていて、そこに付加価値をつけただけのものである。
製品としてみた場合、実際の物質的価値は非常に小さいことはわかるが、だれもそのようなとらえ方はしない。

自分もそうだが、多くの人は、私利私欲、感情がいりまじりただの金属もしくは紙と見なすことはできないでいる。
頭でそう考えようとしても、どこかにそういう感情が入ってしまう。

多くの場合、お金は労働と共に手に入れることができる。
みな、お金の持つ付加価値のために働いていると言っても過言ではない。

そしてDVDやCDとの関連づければ、「お金のもつ付加価値」と「キャリアーのもつ付加価値」を交換するということになる。
これは昔は、「物々交換」であり、その原則はお金を使う社会でも変わっていない。
「等価交換の原則」であるw

現代では、お金のキャリアー(物質)面は失われつつあり、コンテンツ媒体のキャリアー(物質)面も失われつつある。

不思議とお金のキャリアー面は失われても、その付加価値(金額の示す価値)部分は色あせることがない。
もともと人はその付加価値に注目していたからとも言える。
非常に人の人生そして感情と堅固に結びついている付加価値である。

他に、それと同等の結びつきをもつ物はほとんどないかもしれない。

しかし、CDやDVDの場合は、物質的価値のほうが優先されて考えられてしまう。
日本では幸い本に関しては、割り引きできないという決まりがある(もしくは制限がある)と聞いた。
それが真実なら、古本以外は価格がさがらない仕組みができていると言うことだ。

CDやDVDに関してはそれがないので、すぐに値段が下がってしまう。
見た目もさほど手間がかかっていないし、同じである。
なので、買う方も中身が違うだけで、なぜこれだけ値段が違うのか理解できないと言うこともあるだろう。


付加価値をエネルギーと捕らえるとすべてはエネルギーのフロー(流れ)となる。
「お金や付加価値の流れが滞る」=(イコール)「経済活動の停滞」である。

逆に言えば「お金の付加価値」と「コンテンツ」との相互の流れを確保できれば、それだけで経済が成り立つ。
これも以前から言われていることを言い換えただけで、みんなそのために四苦八苦している。


しかし「付加価値=コンテンツ=情報」、「キャリア=物質」、「コンテンツとキャリアの分離」、「フロー」、「物々交換=等価交換=相互フロー」というキーワードを元に考え直せば、もしかすると新しい発想は生み出しやすくなるかもしれないと思った。

その一例として、新しい「キャリア+コンテンツ」の組み合わせを考え出すことがある。
現在は以下のような組み合わせがある。いずれも「相互のフロー」という面からみれば衰退しつつあるものだ。

CD/DVD(プラスチック)+コンテンツ
本(紙)+コンテンツ
劇場+コンテンツ
TV+コンテンツ
インターネット+コンテンツ

これ以外の組み合わせが何か考え出せれば、もしかしたら切り口が見つかるかもしれない。
実際、いくつか思いついたが、考えがまとまりきっていないので今回は割愛させていただきました。

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