日本でハリウッドVFXを制作! 「経産省アイディアボックス」 結果:  
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2009年10月27日火曜日

スカラーとベクトル

よくベクトルとの対語として「スカラー」とか「スカラー値」という表現が見られる。

いまひとつわかったようではっきりしなかったのだが、
F_master氏のホームページにその意味がわかりやすく書かれていた。

方向を持たない「大きさ」のみを示す値をスカラー量と言います。
ベクトル量の対義語です。
実生活では質量やお金、身長などがそうです。
方向が無いものがスカラー量と考えてもらって結構です


ようするになにかの大きさ/量を示すとき、
方向がないものが「スカラー」量・・・一つの量だけで示すことが出来る量
方向があるものは「ベクトル」量・・・三つの量を一度に示さなければ表せない量


スカラー量の例としては、
質量、お金、身長、
時間、質量、長さ、エネルギー、電荷、温度など
無次元量(次元のない量)


ベクトル量の例としては、
力、電界、磁界、運動量、速度、加速度、位置、面、回転

面ベクトル、回転ベクトルに関する解説
(参照:スカラー量とベクトル量 pdfファイル
(参照:wikipedia


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それぞれの語源は以下の参照ページによると
(参照:Yahoo知恵袋、 ざつがく・ザツガク・雑学 2004-05-20 Vol.231

ベクトル lat. vector vehere 運ぶ者とか 移動するとか言う意味
英語の乗り物 vehicle < ラテン語 vehere も同系語

スカラーLatin scalaris, scalae = stairs, ladder はしご、登る →目盛りとか 言う意味
英語のscale 秤 目盛り も同系語

目盛りや縮尺比を表すスケール(scale)やエスカレーター(escalator)、段階的に拡大すると言う意味のエスカレート(escalate)もそうです。
エスカレーターはラテン語の scala と、エレベーター(elevator:物を揚げる装置)を組み合わせて作られた造語(1859年)で、オーチス社が名前の考案者から買取り商標(1900年)としました。
しかし、1950年アメリカ特許局が一般名詞化しているとし商標登録の放棄を命令し、かくして、エスカレーターは一般名詞となったのです。
 

Speed(速さ)、Velocity(速度)、Acceleration(加速度)

Speed(速さ)とVelocity(速度)の違い
「速さ」は方向を持たない。「速度」の大きさの成分、構成要素。
「速度」は方向を持つベクトル量。「速さ」と向きをあわせたもの。
方向がどのように重要なのかというと、その量(おおきさ)がプラスの方向に働いているのか、マイナスの方向に働いているのかと考えるとわかりやすい。

(参照:wikipedia

「加速度」とは加速するために加えられるエネルギーの値。一定時間の間に変化した速度の量



F_Master氏のホームページで「力学」にそれぞれの詳しい解説がされている。

 

2009年10月26日月曜日

「mag」関数 (メモ)

mag:ベクトルのマグニチュード(浮動小数点数)を返します。 (参照:オンラインヘルプ

float mag(vector)

vector はマグニチュードを求めるベクトルです。
mag 関数はベクトルを浮動小数点数に変換します

ie: mag(<<7,8,9>>)
(13.928 を返します。)

使用例:ベクトルは、方向をxyzで示し、その値で大きさをしめしている・
要するに、「方向と大きさをもったもの」

エフェクトのスクリプトでは、ある要素を基準にして別の要素をコントロールする必要な状況に出会うことがある。
そのとき、そのもととなる要素の何を利用したいのか、見定めなくては特定の値をもとめることができない。

色、位置、速度、x座標、フレーム番号、etc.

パーティクルにおいては、
特に、
寿命、速度、位置などが重要な基準となることが多い。

そのとき、自分がもとめるコントロールはどんな要素をもっているひつようがあるのかがわかれば、
それを見つけることが容易になる。

そのときに、「方向と大きさを持った」要素が必要だということがわかれば、ベクトル値をもつアトリビュートを探せばよいとうことになると思う。

また、本来、ベクトル値ではなくとも、RGB値スのように、クリプト上での扱いがベクトル値に分類されるケースがある。
RGB値をベクトル値として扱えば、色の変化にあわせて何らかの値を操作することも可能である。

またおおざっぱな言い方をすれば、
「方向と大きさを持った物」を求めるとき、ベクトル値を探せばよいし。

ベクトル値の形式を取るものであれば、「方向と大きさを持った物」として扱うことも可能ということになる。。

これをトリガーとして何かに影響を及ぼすエクスプレッションを作るのであれば、
そのベクトル値が変化していく特性を見極めて、それをうまく利用していくことがカギとなる。


方向と大きさをもたせるには1点では不可能で、A点~B点間というように距離が必要となる。

二点間の距離を用いるものに何があるのかをリストしてみる。

1)同一時間に存在する二点:同一空間、同一時間に2点が存在するとして、純粋にこの二点間の直線距離。
例:「translate」 xyzの値をそれぞ<<5,8,5>>とベクトル表記できる。これは一見、一つの点を表記しているようにみえるが、原点<<0,0,0>>という点からの距離という暗黙の了解がある。
また二つの物体があり、片方の物体を原点とみたてて、そこからの距離として表現することもできる。

2)別の時間に存在する2点:同一空間、同一物質、異時間に2点が存在する。
簡単に言うと、ある1点が時間軸に沿って移動するとき、元いた場所と新しい場所を直線で結んだ距離。
例:これはVelocity(速度)とAcceleration(加速度)がそれにあたる。
Velocity(速度)は、速さ(大きさ)と方向をもつベクトル値。
Acceleration(加速度)は、速度が単位時間あたりに増える量(変化率)で、ベクトル値で表す。


(パーティクルではvelocity やacceralationは、ベクトル値で表現されている。)

 

「トランジション」を考える。 (ストップトリック 番外編)

正確にはストップトリックではなく、ただ二つのカットをつないだだけ。
二つのカットの中心となるオブジェクトの形状が似ているために、状態が遷移したように感じさせるものになっている。

それは2001年宇宙の旅で、猿人にほおりなげられた骨が、宇宙船に変わるシーン。




前後のカットは、まったく違う物を異なる場所で撮影している。
共通点は、
1)背景にはほとんど目をひくものがない。
2)浮遊している物体の白い色と、細長い形状。

骨から宇宙船へ意味的な状態遷移を表現している。

ここでは「視覚的」な状態遷移よりも「意味的」な物が重視されていると思われる。
それが、カットのつなぎだけで表現されている。

ストップトリックではないのだが、あえてとりあげた理由は、
カットの持つ強烈さを感じる良い例だと思ったからだ。

この状態遷移はカットで表現されているがゆえに非常に強力で、見た物に混乱を引き起こすほどの衝撃を与える。
正直、最初この映画を見たときには、ここで何が起こったのかわからず、混乱した。
「なぜ、いきなり宇宙船?」
ただこの後には、穏やかでゆったりしたシーンが続くので、その混乱も徐々に和らいでいった。
キューブリックは、カットの技法が生み出す衝撃が見る物を混乱させることを十分承知で作ったのだろう。

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人類が初めて使った道具「骨」と、そこから進化した人類の英知を集めて作られた「宇宙船」

その間にはながい時間が横たわるが、それを一瞬に飛び越えさせ、人間がいかに進化したかも感じさせるようになっている。


最初この映画をみたのは中学生のころだったが。
いろいろなSF雑誌で、この「「骨」が「宇宙船」に変わるシーン」は大絶賛されていた。

しかしながら、SFXおたくの自分には、
当時、どうしても「骨」が「宇宙船」に「変わった」とは認めることが出来なかった。
カットをつなぐだけという原始的な方法が幼稚で子供だましのように見えた。

いまだに「変わった」とは感じられないが、その異質なカットをつなぐことで生じる衝撃と
そこに表現しようとした意味は、わかるようになってきた。

 

2009年10月17日土曜日

2012

11月13日に公開予定の「2012」の冒頭5分28秒分のムービーが、約2週間前に公開されたが、そのときに感じたこと。
映画を期待している人は読まないことをおすすめします。


まず、VFXはとにかくすごい。
どれだけの人や技術が動員されたのかわからないが、すさまじいリアリティーと迫力の映像が続く。
これから先、数年分のリファレンスがぎっしり詰まっていると考えたのは職業病かw
とにかく、細部まで十分作り込まれていて文句の付けようがない。


<<注意: ここ以降は、映画を楽しみにしている人は読まないことを強くおすすめします>>

そして、しばらくストーリーと映像との関連についてちょっと注意を向けてみた。

....なにかおかしい。

けちを付けるつもりはないんだけど、違和感を感じる。

よく考えてみると、主人公が危機に陥りすぎ。
そしていずれもかすり傷一つおわず、助かる。

車の衝突、崩れ落ちるビル、道路の崩壊、隕石の雨、いずれも危機をくぐり抜ける。

この5分半のえい像含まれていないショットが途中にあるのかもしれないが、今のところ、この映像では、そのような場面しかみれない。

観客に、危機感を感じさせるための演出なのだろうが、事故寸前で助かるような場面が続くと、「この人は絶対に死なない。」という確信がでてきて、逆にギャグに見えてきた。

大金をかけて最新VFX満載のギャグにしか見えない。
VFXはシリアスな映像を描いているが、演出はトム&ジェリーと同じw
もしかしてねらってんのか?とも思ったが、それにしては長すぎる。
でもこの監督どことなくシリアスさを描ききれないというか、どこか的外れな感じのギャグともそうでもないともいえる微妙な演出を入れてくる、それがこの映画ではこれなのか?

ちなみに、微妙な演出とは、ID4で、瀕死の宇宙人にあたりちらすウィルスミスのセリフとか、ゴジラの子供が大量に孵化するとか、マジともそうでないともいえない演出のこと。
これは個人的に感じているだけなのかもしれないが。




そう考え出すと、いろんな崩壊のスピードが遅く感じる。
物が落ちてくるのもスローモーションのようにゆっくり。
もちろん、現実世界でも、高いところから長い距離、物が落ちるときなどゆっくりに感じることがあるのは認めるし、映画の演出で、スピードに緩急をつけているのもわかる。
しかし、その演出が鼻につくほど、多い。
しかも崩壊がこれまた、ことごとく、細かいし、美的な壊れ方をする。

リオのキリスト像の崩壊、など、腕が先に壊れているが、地震にあったとしてもあれほどもろくないだろうと感じる。

このあたりを感じだすと、もう歯止めがきかなくなってしまった。
演出のための嘘が目白押し。
あまりにも作り物ぽいし、みせすぎで、緩急が感じられなくなってしまっている。

VFXを大量に見せれば観客動員できると考えていたのだとしたら観客を馬鹿にしている。
スピルバーグならもっと押さえた演出で、効果的に見せるのではないかとさえ思ってしまう。


そのうち、以前の予告編で現代技術で作ったノアの箱船みたいな船が、ちらほら出ていたのも思い出した。
自明のことだが、ストーリーも、結末もなんとなく予想がついてしまった。


自分は「スターゲイト」「インデペンデンス・デイ」のファンでもあるので、決してこのローランド・エメリッヒ監督が駄目だとはいいたくない。
しかし「GODZILLA」以降、あまりパットしないのも事実。

自分の中では、「GODZILLA」は設定がおもしろいと思ったので、まぁまぁだったが、「デイアフタートゥモロー」からは、ストーリー展開が退屈になってきたように感じる。

今回の2012を見に、映画館へ足を運ぶ気持ちはなくなった。
もちろんVFXの迫力映像だけを期待していっても十分だとは思うが、それだけで見に行くには時間もお金ももったいない。
後ほど、DVDでも買って、ゆっくりVFXを研究する程度で自分には十分かなと思った。
多分、借りて終わると思うがw


ローランド・エメリッヒの、次回作は「ミクロの決死圏」だ。

これは個人的に好きな映画のリメイクなので、期待している。
それに、久しぶりに地球規模の崩壊から離れた映画になるので、もしかしたら良い演出が期待できるかもしれない。

この映画、当初ジェームスキャメロンが監督に興味を示した物の、Avatorの制作で降板し、次は脚本家協会のストで制作が延期になったためローランド・エメリッヒは、「2012」の制作に集中したということだった。
Wikiを見る限りでは2010年の公開予定だし、ジェームスキャメロンも何らかの形で制作に関わっているらしく、2007年に脚本にだめ出ししたらしいので、演出にもキャメロン独自の、スリリングなテンポが期待できる。


今回、TRON2には参加できなかったが、今から頑張ればこの思い出の映画のリメイクには参加できるかな?(参加したいな)
 

2009年10月12日月曜日

デジタルドメインのエントリに関して少し追加

デジタルドメイン、カナダ支社設立のエントリで、結構言いたい放題かいているので、不安になった方もいるかもしれないのであらためて書いておきたい。

前回のエントリでは、まるで数年後にハリウッドCG業界が崩壊するのではないかというような不安にかられるような描き方をしていたが、完全に個人的な考えをのべただけで。
そういうことは、あり得ないと思うので、安心していただきたい。

ネガティブな表現が多かったのは、自分の不満や不安を整理する意味もあり、半ば現在の自分の考えを記録しておきたいがために、書いている。
「個人的なブログ」の内容としてご容赦いただきたい。

やはり不満と結びついたことを書くと、ネガティブな内容が増えてしまうので、ブログを公開している以上、そのあたりは、控えた方が良いのかもしれない。


冷静に見て、確かにハリウッドでのCG業界は、すべてが上向きというわけでもないだろうが、それはおそらくどの国でも同じだろう。

カナダの件に関しては、ハリウッドの強いライバルとなりつつあるのは事実だが、取って代わるかどうかは、わからない。
もちろん、技術の進歩に従って色んな国がライバルとなって来るであろう事はだれでも想像が付く。
少なくとも、10年近い月日がたたない限り、どの国がイニシアチブをとるかは、わからない。

日本のセルアニメのように、多くの動画が人件費の安い国で作られるように、ハリウッド以外の国はセルアニメでいう動画のような部分を任されることになるかもしれない。

ニュージーランドで色んな映画が作られるようになったころ、ハリウッド映画業界は衰退するのかと、心配される声もあったが、そうはならなかった。

もし、映画業界が成長すれば、ハリウッド、カナダを含めても人手がたりなくなることも十分ある。

今のセルアニメのように、だれもCGという仕事に興味がなくなれば、それがハリウッドでなくても、誰も気に掛けなくなるだろう。

ジョージルーカスは将来「大作」映画が作られる機会はどんどん減っていくと言った。
おそらく本当にそうなるのだろうが、ここ数年はまだその気配はないし、まだ10数年は大丈夫な気がする。

まだ、流れは始まったばかり、衰退の気配は微々たる物で、流動的であり、将来はわからない。

 

2009年10月10日土曜日

デジタルドメイン カナダ支社

LA大手のエフェクツプロダクションのデジタルドメインがついにカナダ支社を設立するということがついにオフィシャルに公表された。
The Vancouver Sun :Digital Domain to open Vancouver visual effects studio
(2009年10月5日付)

記事の要点を簡単に訳すと以下のようになります。
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デジタルドメインは、20000平方フィート(1858平方メートル)の広さを持つスタジオを2010年の早い時期に開く予定です。

50~60人のアーティストを主にカナダ人から雇い、2010年の終わりまでには100人のスタッフにすることを計画している。

まず最初のプロジェクトにとして、トロン・レガシー(ディズニー)の部分的なショットを予定しています。

デジタルドメインは、ブリティッシュコロンビア州の税額控除と、この都市の世界的に有名なデジタルアーティストの人材という有利な点をとりれるためにバンクーバーに来る。

「複数の場所にわたって、我々の才能とリソースを拡張することで、経済、創造性、技術に関係なく、制作へのあらたなチャレンジができるように解決策を提案できるようになる。」とデジタルドメインのCEO Cliff Plumerは語っています。

Gloria Bordersは火曜日にフィーチャーフィルム・オペレーション取締役に任命され、ベニスとバンクーバーの両方の婦度楽ションを監督する予定。

彼女は、以前ドリームワークスアニメーションでシュレック3、マダガスカル2などの制作を管理した経験があります。

(訳注:以下はデジタルドメインの歴史なので省略)
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先月vfxpro.comにカナダのバンクーバーで面接をするという募集がデジタルドメインからでていたので、「もしかして?」と思っていたがやはりそうだったらしい。

カナダで人材募集をかけるということはそれ以外に考えられないからだ。


いろいろな費用の関係で、ハリウッド大手のVFX会社が海外へ支部を設立し始めたのは、今回の金融危機以前から始まっている。

ILMのシンガポール支部、リズムアンドヒューズのインド支部、の設立。
そして、最近では、ピクサーのカナダ支部。

VFXの制作費はコンピュータの進化、ソフトウエアの進化に従い、どんどん予算がさがっている。
映画制作者側からすれば、嬉しいことかもしれないが、VFX制作側としては戦々恐々としてくるような状況だ。

そしてもし、大手VFXプロダクションが、LAに在住するCG/VFX業界のアーティストにある程度見切りを付けはじめたのだとしたら我々アーティストにとっても人ごとではない。


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すぐに何か起きることはないかもしれないが、5~6年後にはじわじわとその影響を実感することになりそうだ。

そこで自分の会社におきていることから、つねずね懸念していたハリウッド現状を良い機会なので書いておきたい。。

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1)まず人件費。
うちの会社でも正規雇用をやめ、フリーランサーを使うようになった。
正規雇用していた人材を解雇し、フリーランサーとして雇い直すことで、不要になればいつでも首を切れる。
これにより無用な人件費を削除できる。

仕事が少ないときに正規雇用者をかかえることは無駄な出費となるのでこれは当然のこと。
それでもいままで何とかなったのは仕事が継続してあったからだ。
仕事が少ない時期に正規雇用者をかかえることは、コスト高、もしくは生産のないところに支出することになる。
ある程度、予算に余裕があるか、なんらかの形でそういった部分を消化することができないと、プロダクションの経営に支障がでる。

これはうちの会社だけでなく大手ソニーでも起きたことだ。

しかしフリーランサーを雇い、プロジェクトがおわれば首を切るというのは以前からこの業界では当たり前のことだ。

今回は、visaの維持に正規雇用という条件が必要な外国人雇用者に対しての解雇は少なかったかもしれないが、以前にもまして正規雇用者を抱える余裕がなくなってきたのだろう。

(ちなみにピクサーは正規雇用が基本らしいので、この考えはあてはまらないかもしれない。)



2)就業時間に制限をもうけ、その時間内でしあげるようにプレッシャーもかかる(うちだけかもしれないがw)
これはうちだけかもしれない。
残業は減ったがプレッシャーはかかる。


3)visaの問題。
いままで外国人を雇うときにはH1bというvisaで雇うことが普通だった。
それが数年前より抽選になった。
まずはクリントン政権のときに増枠されていたH-1b発給数が、法案が期限切れとなった2004年度に195,000から65,000へ激減。
それ以降、visaをとれず繰り越しとなっていた人が2007年に殺到。
初日の申し込み受付で、はるかに限度を超える申し込みがあったのだが、規定により初日の申し込みを締め切ることができないので、抽選になった。
それが現在もつづいている。
当然ながら、企業が雇いたくても移民局の抽選にもれたらvisaを取得することはできない。
もちろん他にもVisaの取得方法はあるが、H-1bにくらべて条件が厳しい。
企業側も思うように人材を集められなくなった。



3)給料の安い人材を選ぶ。
人件費にも関係しているが、これから雇う人材ということに焦点をあててみた。
今は、ソフトウエア質もあがり、いろいろなことができるようになった。
そして学校でもそれを習うので、学校を卒業したばかりでもそれなりのものが作れる人が増えてきた。

それだけではない。
中堅以上の企業では、長年の歴史の中で資産がたまっている。
スクリプト、自社開発のプラグインやソフトウエア。
教育システム、仕事の分類方法、アーティストの使い方といったノウハウ。
これにより、新たに雇ったアーティストを、ある程度のレベル(使い物になるレベル)まで引き上げるのに
以前ほどの時間を必要としなくなったと考えられる。

もちろん、新しい技術開発は必要なので、そういった人たちや、まとめ役には経験者はまだまだ必要だ。
しかしながら言われたことをやるオペレータなら、学校を卒業し手間がない人材でもなんとかなる可能性がある。

そういった人材は格安だ、場合によっては熟練者の半額以下の金額で働かせることもできる。

ハリウッドも熟練者はかなりふえてきて、人あまりのような気もする。
熟練者が片手間に自分のスキルより下のレベルの仕事をやってたのだとしたら、コストは割高となる。

熟練者を一人雇うよりも、初心者を3人でもやとってきちんとした指示を与えてやらせたほうが、コストが安く付くこともある。

もちろんこれは、きちんとしたノウハウや、失敗があってもその損失を吸収できるだけの体力がある企業でなくては危険性もつきまとう。


4)熟練者が増えすぎた。

現在のVFX業界で5年以上の経験者はざらにいる。
5年どころか、10年以上というのも多い。

そういう人たちは、ある程度の物は簡単に作ることができる。
しかしながら、ソフトウエアの向上や企業資産の蓄積で、かならずしも高度なスキルがなくてもある程度の質を維持することができるようになってきた。

それは熟練者にとっては、仕事上、自分よりも遙かに下のレベルの技術で仕事をすることも増えると言うことになる。
それは、企業にとっては能力の無駄使いであり、本来ならもっと安くあげられるものが高くなっている。


日本人からすると熟練すれば時間が早くなるからコスト的には変わらないと考えるかもしれない。
しかしこちらの人間は休憩の回数が多かったり、その時間が長かったりする。
会社によってはインターネットみてたりもする。

勤勉な日本人から見るとあきらかにサボりである。
そのくせ、残業をしたがらなかったり、休日は必ず休んだりする。


そういった時間は、「生産のない時間だが給料を払わなくてはいけない時間」ということになる。
その時間が初心者と熟練者が同じなら、当然熟練者を雇う方がリスクが大きい。

また初心者は、人によってははやくレベルをあげようと勤勉である。

企業側にとって利益になると映るのは、当然後者だ。



5)映画やTV制作のVFX予算低下
ソフトウエアの向上や資産の蓄積によってもたらされたのはVFXの質の向上と、操作性の向上だけではない。
それによって制作期間も短縮された。

一昔前の大作映画で使われたVFXが、いまやTVシリーズのわずか1週間という制作期間で作られる事もある。

当然ながらおおくの企業が同じ事ができるようになり、競争も起こる。

そうなるとやはりコストを下げざるを得ない。
実際にはコストを下げると言うよりも、ある程度のVFXをクライアント側の値切りに会わせても仕事を取るためには
妥協せざるを得ない。



これに加えて、いまは海外のプロダクションも増え、中国やインドの企業へ発注されることもある。

そういった海外のプロダクションでも低予算ながら、過酷な労働時間、アーティストのやる気、安い人件費によってハリウッドと比較しても遜色がない物をつくるようになってきた。

それがますます制作予算の低下をまねいたことは想像できる。


そして、上記の4にも関係しているかもしれないが、無駄に流れてしまっているお金が多い。


日本人は、あらかじめすべての問題点を洗い出してから計画を綿密に立てる傾向がある。
しかしアメリカ人は、まず計画に着手してから、問題があれば解決していく方法をとる。
それは最初から全ての問題はわからないという理由からだろうが、この業界(うちの会社)にいると本当に計画性がないと感じる事がある。

おそらく大手の企業だとここまでひどくないと思うが、それでもここのアーティストにもこれはあてはまる。

あるショットが依頼されたときに、見積もりをしたとする。
そこにあるのはすべて彼が考えてきた筋書き通りに起こるということで計算されており、自分が想像しないほどの深刻な問題がおこるとは考えには入れられていない。
60%の確率なら100%ぐらいでできるぐらいの自身で返事が返ってくる。

で、問題が起きたときには、まず自分に非があるなどとは考えないので誤ることはしない。
「アレが悪い」「これが悪い」の理由づけのオンパレード。
で、聞いてる側の管理者側もそれを真剣にとって、議論を始める。
横で聞いているこっちは、どんどんむかついてくる。

実際仕事ができなくても、この理由付けと解決策にいたるプレゼンテーションがうまければ、こいつはできるやつと思われ出世するので、やれやれだ。

日本人なら「すみません」「わかりました」ですんでしまうようなこと。
問題解決方法をすぐに実行し始めることですむことが、延々議論になり、簡単な解決策にいたるまで数分~数十分が費やされる。


どちらも可否があるが、こちらでそれが悪い面にしかはたらかないと、
管理不足、計画不足を「想像し得なかった問題にぶつかった」ということで済まされてしまう。

おそらくこれはおおくのプロダクションで大小かかわらず日々繰り返されていることだろう。
そしてこの積み重ねは、最終的にコストに関わってくる。


これがハリウッド映画やアメリカのプロダクションでの制作費が高くなる理由の一つだと思っている。
たまに、どうしても納得いかず、腹を立てることがあるが、変わったやつぐらいにしか思われていない。
(それは、それで腹が立つが)

ただ、これはアメリカ人同志では気がつきにくい問題なのかもしれない。

「何故かわかんないけど、アメリカでVFX作ると高く付くんだよね~」
「ハリウッドは歴史もあるからね、安くできないんじゃないの?」
「カナダだとこんなに安いよ」
「安くて済むなら、うちもカナダに会社作ろうかな。税金控除も大きいしね」
こんなふうに会話が進んでいるのかもしれない。

まぁカナダがアメリカン人みたいな働き方をしていないという保証は何もないけど、アメリカ人が自分たちの仕事のやり方を反省しなければ、こういった問題点が解決されることはなく、アメリカからどんどん外部へ仕事は流れていくようになるかもしれない。

実際に自動車業界の歴史も同じようなことに起因するのではないかと思う。
自動車業界は、ジャパンバッシングにおいては政府に救われたものの、
自分たちのおごりや、仕事のやり方などを改善することはあまりなかった。
数十年たち、市場価値自体は下がり続け、ついに今回のようにビッグ3の崩壊という結末になった。

商品としての車の価値が問い直され、新たに開発を推し進めたのは、自分たちの計画に予想しなかった問題がおきて、それが自分の尻に火をつけて、しかも大やけどしてからだ。

VFX業界は自動車業界とは違うとは思う。
しかしながら世界的にどんな業界でも、サービスや、品質に対する価格がつりあうかどうかという判断は厳しくなってきている。

VFX業界は、目に見える物質的なプロダクトではないし、プロダクションの移設も非常に簡単におこなうことができるだけに、いったん崩れはじめると崩壊までの道筋も短時間で起きるような気がする。
それに、政府も業界の一部として考え、自動車業界ほど大きくないので援助があるかどうかもわからない。

反面、VFXサービスを生み出す体制を整えさえすれば、まだまだ底力はあるだろうから新たな時代を創り出すこともできるだろう。

個人的には立体映像が、その一つで会って欲しいと願っている。


6)税金などの経費
ハリウッドのあるカリフォルニア州は、税金も高く、州自体破産寸前では安くなる見込みはない。

映画関係者が州に支払う税金を引き下げて、映画・TVの制作をやりやすくしてはどうかという声もあるらしい。

しかし、制作費のほとんどは、プロデューサーや、俳優など関係者の一部に流れてしまっているので優遇しても
一部の人間が私服を肥やすだけと見られている。

他に何も得になることはないということで、この案は、見送りになっているのが実情だ。

映画業界全体からみるとVFXはほんの一部だ。
政府側も、そのような小さな部分を気にする必要はないと考えているのかもしれない。




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<カナダの利点>

今回の記事にもあったが、カナダにプロダクションが作られる利点のひとつはその税金控除だ。
これが企業としてはかなり魅力らしい。


数年前(ひょっとしたら10年以上前)にどこかのテレビ番組で、カナダはITの教育と企業誘致に国を挙げてサポートしているというのをみたことがある。
今現在もそのままなのかどうかはわからにが、今は先進IT国家として知られており、VFXに限らずIT関係の教育は充実しているらしい。
おそらくIT関係の企業にはその優遇措置として税金控除項目に違いがあるのだろう。



カナダは、VFXを含めて、フィルム関係の学校、プロダクションが集中していて第二のハリウッドと呼んでも過言ではない。
教育関係も充実している。


VFX経験者、学校を卒業した初心者共に、豊富なのだ。

それに税金措置がくわわれば、企業としてはおいしい話だ。

それにvisaの問題もない。



問題は、ハリウッド(LA)との画像データを含む情報のやりとりぐらい。
それも今はインターネットで改善されている。

同じLAでも、テレビ会議も普通だし、撮影されたプレートや完成したショットがFTPを使って送受信される。
テレビ会議も、ムービーをみながら画面に書き込みもできる。


もちろん直接あって話すことは、いまでも重要だが、その機会は極端にすくなくなったといえるだろう。

そして、その相手がカナダにあったからといってさほど変わるわけではない。
時間も同じ、ただ直接会おうとしたときにすぐには会えないこと、会おうとしたら移動時間とコストがかかるということぐらいだ。

直接会う人間も、そして時間もそれほど必要ないのであれば、その移動にかかる時間とコストは、カナダで支社を運営する欠点にくらべれば、はるかに小さな物になる。


これでカナダでのプロダクションでの成功例が増え、カナダでのノウハウが蓄積されてきたら、プロダクションの移転準備はほぼ整ったことになる。

アメリカに未練のないVFX企業の経営者がどんどんカナダに流れていく可能性もないとは言えない。


LAの魅力はなんだろうか?
冬になっても日本の秋ぐらいの寒さであり、年間通してほぼ晴天がつづくというそれぐらいだろうか。
家賃も高いし税金も高い。

カナダへの移住を考えた方が良いのか???


 (2009年10月12日:若干の訂正と文章の追加を行いました)

2009年10月7日水曜日

「トランジション」を考える。 (ストップトリック: 用語解説)

「ストップ・トリック」について、すこし気にかかることがある。

この「ストップ・トリック」という用語に抵抗のある人がいるのではないかということだ。

もしかしたら私Melonの思いつきや勘違いで使っているのではないか?と疑っている人はいないだろうか?


というのも、

まずこの「ストップトリック」は聞き慣れない用語であること。
もう一つは、メリエスやこの技法についてふれているホームページで、「ストップ・モーション」と称されていることもあるからだ。


私自身、8mmの撮影方法の本や、いろいろなSFXの種明かしの本などを小中学生のころより読んできたが、「ストップトリック」という言葉を使うのは、今回はじめてで、不慣れな用語だ。


ただ、メリエスについて調べ始めたときに、出会い、Wikipediaで正しい用語であることを確認してから使い始めている。

それに、「ストップモーション」は人形アニメなど、アニメーションの技法であり、「ストップトリック」の技術的内容とは、異なると思う。


昔読んだ本の記憶をたどると、この技法について解説してあった本などにはただの「トリック撮影」の一つの手段として解説されていたことを思い出す。逆回しや、二重露光とならんで解説されていたが、とくに用語などはなかったような気がする。

あえていうなら「入れ替えトリック」だろうか。
ただ遠い過去に読んだ内容なので、記憶は定かでない。

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そこで、今一度、この「ストップ・トリック」という用語が正しいのかどうか確かめるためにもう一度Wikipediaを読んでみた。

結論から言うと、
ストップ・トリック」はこの技法を示す正しい用語であり。正しい使い方である。
「ストップ・モーション」は異なる技法であり、混同され、間違って使われている。



ところで、「ストップトリック」は英語版Wikipediaには解説されているが、日本語版Wikipediaにはない。

とうことは、「ストップトリック」という用語は日本ではほとんど使われない、少なくとも一般的ではないということになる。

この技法が日本で使われ始めたころ、
ただカメラをまわすのをとめるだけという簡単な技法だからあえて用語を使う必要がないと判断したのか? 
「トリック撮影」をこの技法の代名詞として使ったのか?


それについては、今のところ明確な回答は見つけることが出来なかった。


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さて、「ストップ・トリック」が「ストップ・モーション」と違うということをはっきり理解してもらうために、英語版Wikiの解説を下に翻訳してみた。
あまり良い翻訳ではないので、メリエスの逸話についてはほかのホームページなどでももっと詳しい解説が読めるので、参照していただきたい。

この解説の最後に、先日紹介した[奥様は魔女]が例として取り上げられていた。
やはりこれはこのテクニックが作風とぴったりマッチしていて、多くの人の印象に残っているんだなとうれしく思った。



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Wikipedia(Eng):Stop trick


ストップトリックとは、フィルムの特殊効果の一つ。
あるオブジェクトが撮影された後にカメラを停止し、オブジェクトをカメラの視界から取去る。
そして、カメラを再び回す。
そのため、観客がフィルムをみるときには、オブジェクトが消えるように見える。

メリエスは、パリの通りを撮影している時に、偶然、ストップトリックを発見した。
彼のカメラのゲート機構で、フィルムが詰まってしまったが、車や人は普通通り、そのまま動き続けた。メリエスのカメラは、ゲート機構から詰まりを取り除くまで、撮影を止めることになった。
後に、通りを撮影したフィルムを上映した時、彼は、乗り合い馬車が突然、霊柩車に変わったのに、驚かされた。
(訳注:「ゲート機構」とはカメラ内部の開口部、レンズから入ってきた光がフィルムと出会うところ。
ここにはフィルムを送るためにピンとシャッターが連動した装置がある。
ピンは一フレーム送る毎に停止し、シャッターが開き露光する。1秒間に24回(24fpsのカメラの場合)のフレームを送る必要があり、高速で正確な動作が必要とされる。
しかしながら、様々な影響で、それに失敗してそこでフィルムが動かなくなることがある。それがフィルム詰まり。)



実際に起こったことはは、カメラが詰まった時に乗り合い馬車がフレーム外へ移動し
、カメラが撮影を再開する前に霊柩車と入れ替わったということだ。

メリエスは、このテクニックをマジックのトリックに使った。
たとえば、マジシャンと少女を撮影し、
マジシャンがジェスチャーをさせ、メリエスはカメラを止めた。
かれは少女に視界からでるように指示し、再びカメラを回し始めた。

現像されたフィルムをみるとき、マジシャンのジェスチャーの後、少女は突然きえたようにみえる。

このテクニックは全ショットを作るために毎フレーム撮影するストップモーションのテクニックと混同されてはならない。

テレビシリーズ[奥様は魔女]は、このストップトリックの技術を頻繁に使っている。

 

2009年10月2日金曜日

「トランジション」を考える。 (ストップトリック: まとめ)

いままで、「(オブジェクトの)トランジション」のテクニックとして、「ストップ・トリック」を見てきた。

本当は今日から「ディゾルブ」について書こうと思っていたが、もう一度頭を整理したいので「ストップトリック」をまとめ直した。


<ストップトリック(ゼロ秒の変化)>
わずか、1フレームの移り変わり=ゼロ秒の時間の間に行われる。
ゼロ秒とは、すなわち、時間が存在しないということだ。

これは時間を記録するために存在する映画においては、非常に特殊な概念かもしれない。


これで表現できることは、
1)ゼロ秒で物が変化する。(Aという状態からBに変化する。A、B、それぞれ無の状態もあり得る)
2)物が変化した事に気づかせないために使用する。(本物と作り物の首のすげ替えなど)

これは、フィルム2コマの間にある境界の前後が異なる映像で構成されているということになる。
そして主としてそのオブジェクト以外の映像(バックグラウンドなど)は同じである。

わかりにくいが、これを時間軸にそってアルファベットで書くとこうなる。

AAAAAAAAAABBBBBBBBBBBBBB(変化する部分:オブジェクト)
CCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCC(変化しない部分:バックグラウンド)


前後の映像にあるオブジェクトが全く異なるものであれば、観客はそのオブジェクトが変化したと認識する。
前後の映像がまったく同じにみえるものであれば、観客はそのオブジェクトが変化してことに気がつかない。

その境界から、前後の状態をある程度の時間みせているので、見る側は状態が変化したことに気がつく。

この「ストップテクニック」は、「変化そのもの」を記録しているのではなく、「変化した前後」を記録しているにすぎない。
これにより、観客にそのへんかを想像させているだけだ。



時間を記録しているわけではないので、撮影時には、時間にとらわれないでいられる。

どういうことかというと、撮影時に、Aの状態を撮影し、
それをBの状態へ変化させて撮影するとする。
そのとき、Bの被写体を準備するのにいくらでも時間をかけることができる。


1)女性Aの顔を撮影(状態A)
2)女性Aの顔に怪物のメークアップをする。(状態A→状態B)
3)怪物になった女性Aの顔を撮影(状態B)

ようするに状態Aから状態Bへ変化した現実の時間は記録されない。
上記のステップ2では、場合によっては無限に時間を費やすことができるかもしれない。
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<ストップトリック(ミリ秒の変化)>

最初のこの技法の発展は、「ミリ秒の変化」だ。
(この発展というのは、年代的な発展としては現時点では、確認できていない。ただ概念的な発展としてはありえるのではないかと考えている。)

そわずか数フレームでおきるミリ秒の時間は人間の目には「一瞬」だ。
これを「ゼロ秒」と割り切り、同じ技法で表現することで、ストップトリックは時間を手に入れた。

実際にはミリ秒の間に起きている変化は、人間の目に捕らえることができる。
普通の人は見えていないと考えていても、肉体としての目は感じ取っている。
しかし、その感じ取れる部分はあえて省略している。

映像の嘘であり、違和感を感じさせる部分ではあるが、なんとか人の想像力で補うことができる。

数ミリ秒の間におきている変化は省略され、記録されていない
実際には撮影されていないことを撮影したように見せているだけである。

それは観客の頭の中だけ再現されることになる。


技法も見せ方も変わったわけではなく、撮影の対象を拡大したにすぎない。
観客に想像力をより活用するようにしたということだ。


※ 余談だが、観客の想像力を使う映像技法が長い間、台頭していた。
しかしCGの発展によって、想像で補ったいたものをすべて映像として見せる事ができるようになった。
そのような映画は楽しみがあるのだろうか?
たしかに作る側になればいろんな想像をしてつくるのでおもしろい。
しかし、見る側はどうなんだろう?
個人的には、最近の映画はおもしろい物がないと感じるが、それは見る側が想像力を使う必要がなくなったからではないかと思う。
わくわくすることは、ストーリーの展開やカット割りだけでなく、そうした一つのショットで何が起きているのかわからない部分を想像で補うことで達成されていたのではないかなと思う。
こんなことを言っていると、年寄り扱いされるのだがw。



さて、この「瞬時」という短い時間におきる出来事を撮影対象とすることによって付随できた表現は、「スピード」だ。
短い時間に大きな距離を移動しているようにみせることができれば、そこにスピード感を感じる。


たとえば、矢が飛んできて人にささるとする。

1)人を撮影(A)
2)矢を人に付けたメークアップをする。
3)矢の付いた人を撮影(B)

観客は、矢が突然、人の胸に付いている映像をみることになる。
矢は指向性を持って飛ぶため、観客は矢がフレームの外から飛んできたと考える。
そして、矢はすごいスピードで飛んできたので、目には見えなかったのだと考えることになる。
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<ストップトリック(数秒の変化)>
これはストップトリックに含めて良いのかどうか迷ったし、正論かどうかわからない。
とりあえず、自分の中で整理しておくため、「時間のあるトランジション」を表現するもうひとつの方法として含めることにした。


ストップトリックを使うコマの境界線をはさんだ前後のシーンに、継続する変化を含める方法。
前後の映像自体が変化を含む、しかしAからBへ変化するのではなく、
AがよりBに近い状態に変化していくがBに変化してしまうわけではない。
Bの部分ははAに近い状態からBの発展した状態へ変化していくが、Aから変化しているわけではない。

これは例をあげたほうがわかりやすい。
メリエスの「月世界旅行」で月面人が煙となって消えるシーンを思い出して欲しい。

これの撮影手順は以下のようになる。
1)月面人をたたくシーンを撮影(状態A)
2)月面人の役者は退場し、火薬をしこむ。
3)火薬を発火し、煙をだすシーンを撮影する。(状態B)

この例では状態Aの部分は通常のストップトリックと同じだ。
状態Bのみが「より発展した状態へ」変化していく。
これは爆発という一瞬を表現しているわけだが、ステップ3の煙を出すことで、
その爆発の継続的時間を手に入れている。
状態Bが起きた瞬間から継続していると言うことになる。

もともとのストップトリックでも状態A、B共に時間的に継続した映像になっている。
Aの部分はAを数秒撮影しているし、Bの部分はBを数秒撮影している。

しかし、この技法では、ただ時間的に継続して同じ対象を撮影しているだけではない。
その対象が「変化を継続している」状態を撮影している。


変化するものを境界線の前後に数秒含めることができるものは、これにより「状態の遷移」を数秒間にわたり感じさせることができるようになる。

個人的には、この「数秒の変化」を含めることを思いつくことで後の、ディゾルブ技法がより生きた技法になっていったのではないかと思っている。



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追記(2009/10/07):

「ストップトリック」は、「物が変化する表現」に使う場合、非常に強力な視覚的影響をもたらす。
実際には起きないこと、非現実なので、リアリティーを追求するには不適切である。

非現実であり、そのテクニックが明らかに見て取れても受け入れられるのはコミカルな表現においてのみといっても過言ではないだろう。

このことは、現在のVFXにおいても非常に重要な教訓となっているように思う。

1フレームで状態が変わるようなことは、、狙っているのではない限り、してはいけない。

それは非現実的な、視覚効果をもたらし、どんな小さな物でも、一瞬にして観客の注意をひいてしまう。
それは、ストーリーテリングにおいての技法として用いているのでなければ、逆効果となってしまう。

実際の現場においては、ある物が一瞬に違う物に変わるなど、目立つのでするわけがないと思うかもしれないが、以外と初心者には見受けられる間違いだ。

特に、わずか数フレームのうちに急速に変化するものなどは、ディゾルブ、もしくはフェードインやフェードアウトを使っていなかったりする。
アニメーションなどで空間の移動距離を見誤り、思いがけずストップトリックのようになってしまっている例もある。

コンプで爆発などコントロールするべきものが多くなるとこういったことが増えてくる。
理由は、非常に神経を使うので見落としがあるか、めんどくさくていいかげんなところで辞めていることだ。

プロは非常に細かなところまで徹底してコントロールできるからこそプロだと思うので、そういったところもきちんとコントロールして欲しいと思う。

 意図していても意図していなくても、そこにストップトリックの原理が作用している限り、観客の注意は多かれ少なかれ、乱されてしまう。
 

 

「トランジション」を考える。(番外編:メリエスについて)

メリエスの時代である1900年と言えばパリ万博が催されている。
ガレのガラス工芸や、ミュシャのポスターなどに代表されるアールヌーボーの時代でもあった。


その少し前の1800年代後半はゴッホ、セザンヌなどの印象派が台頭していた。


アールヌーボーとは、「新しい芸術」の意味であり、絵画、建築、工芸など多岐にわたり、新しい装飾デザイン様式が生まれた。
劇場を営む、メリエスも決してこの時代の流れとは無関係ではなかっただろうし、むしろ積極的にその流れを取り込もうとしていたのではないかと思う。

カメラの故障から、ストップ・トリックのヒントを得たといわれているが、それを技法として昇華させることができたのは、この社会の風潮も後押ししたのかもしれない。
もちろん、彼自身も新しい時代を築いていきたいという気持ちがあったからではないかとは思う。


メリエスのバックグラウンドについてもう少し詳しく解説してあるブログとホームページを見つけたので紹介しておきたい。

ブログ 時計仕掛けの「昭和館」:映像はもともと、魔法に近いものなんだ


サイト 映画中毒者の手記 ジョルジュ・メリエス-映画を見世物に向かわせた男


サイト ペーパームーン(奇術雑論) 第5章 メリエス ―奇術としての映画の創始者

「トランジション」を考える。 (番外編:そのきっかけ)

今回、トランジションについて書いておこうと思ったきっかけは、新しいクリスマスキャロルのトレイラーを見たことだった。

おそらく「現在の精霊」のシーンだと思うが、スクルージに三角錐の何かで閉じ込められた後、ロケットのように飛び立ち(1:25)、飛行中に徐々に消えていくシーン(1:35)がある。

光り輝くロケットが後部から先端へむけて徐々に光の粒(煙?)となっって消えていくのだが、それをみていて、きれいなエフェクトだなと思うと同時にこれを自分で作るとしたらどうすればいいかなと考え始めた。


いつものことだが、何かのエフェクトを参考にするとき、そこにつかわれている技法を分析することから始める。

エフェクトは、通常、複数の技法を使って作られるが、ショットを分析し、ひとつひとつの技法をみてみると、さほど難しくないケースもある。


さて、このショットだが、基本的におきていることは「ロケットが消える」ということ。

つぎにその消え方だが「後部から先端へむけてきえていく」、これが基幹となっている事柄だ。
これはマスクによって、実現できる。
オブジェクトに白黒のマスクテクスチャーを貼り付け、そのテクスチャーをアニメートする。
コンプによって後部から先端へ向けて消えていくようにすればよい。
消えていく部分との境界は、グラデーション、場合によってノイズをいれるとよいだろう。


そしてそこにある味付けは?

金属が燃えるように光の粒(煙?)に変化していき消滅する。
気をつけるべき事は、マスクによりオブジェクトがきえていく境目に、燃えるような光のエフェクトがあるということだ。

これは複数のパーティクルエフェクトとコンプによって可能だろう。
赤い炎のような光が発生するマスクの境界部分、炎のような煙のようなオレンジ色の尾の部分、きえていく青白い尾の部分、他にも必要かもしれないがこのような感じだろう。


そう、考えている内に、この手のエフェクトはよくあるなぁと思った。
見栄えはするが、以外と基本技法は単純だ。

人が砂に変わったり、バンパイヤが灰になったりするエフェクトは、ほとんどこれと同じかこれが発展した物。
X-menのミスティークの変身も多少複雑だが似たような物だ。

パーティクルのチュートリアルにも、ワイングラスが粉になって先端から消えていくというエフェクトを時々見かける。

それらすべての共通点を考えてみると、その目的は「物が消える」もしくは「変化する」ことにあった。

次にそのエフェクトの起源を考えるために、初期のSFX映画を思い出してみた。

まず思い出したのが、「メトロポリス」のロボットマリアの変身シーンだ。
ディゾルブによって、ロボットが人間マリアのような姿に変わっていく。

このような「変化」を再現するためにもっと以前はどうだったのか?
それ以前の物というと、メリエスの「月世界旅行」でのロケットの着弾、月面人の消滅に使われていたストップトリックのことを思い出す。

そのころは、ディゾルブではなくカットを使っていた。

さっそく「月世界旅行」をYoutubeで見たり、メリエスについて調べてみたりしているうちに、現在では多岐にわたるVFXも、元をたどれば表現しようとしていたことは単純だったことに気がついた。

そのうち、現在ではVFXはすべてCGで行っているので、VFXというと複雑な物のように感じるが、実際その領域をルーツから分けて考えれば、もっと整理できるのではないかと思いはじめた。


起源を探り、物事をシンプル化して、そこからツリー上に知識を発展させていくという手法は、その分野をしっかりと理解し、応用がきく考え方を身につけるために役に立つ。
それは、自分の、好きなやり方だ。

そこで、「VFX」全体を把握するために役に立つ理論体系が作れるのではないか?
すくなくともその足がかりになるのではないかという期待を胸に、思いきって、調査/考察してみることにしました。

「VFX」の「目的」が理解できれば、技法も柱(プライマリ)となる物と枝葉のもの(セカンダリ)を見分けることができ、個々の技術の習得も加速できるのではないか?、そうなると、それぞれの技法に必要なMelスクリプトを絞り込むことができる。

そんな風に考えています。

2009年10月1日木曜日

「トランジション」を考える。 (ストップ・トリック 2)

(10月2日:ブログの編集機能がなおったので、修正しました。いろいろと文章を変えた部分もあります。書いている内に考えが変わったり、新しいことに気がついて、それを思いつくままに書いているので、文脈がとらえにくくなったかもしれません。)


ある状態から別の状態への遷移を、カットのつなぎで実現すると、一瞬画面がゆれたり、画面の一部がジャンプしてみえる。


「瞬時」にある物が別の物に変化するというのは、結構、衝撃的である。
映像効果としては、かなり強烈で、必要以上の心理的影響を与え、観客の注意を意図した以上に捉えてしまうのではないか?
それは他のカットとなじみにくくなり、浮いた印象につながる可能性もある。

「魔法」をみせる、うまい方法ではあるが、状況によって使い方に工夫が必要なようだ。

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この技法(ストップ・トリック)が、うまく働く一つの例として、すぐに思いつくのが、コミカルな作品。
コミカルな物はテンポ良く、ポンポンという変化で進むので、それにマッチするのかもしれない。

これの好例は、TVシリーズの奥様は魔女(1964-1972年)だろう。
(この番組を意図して選んだわけではないが、この技法は「魔法」とは切り離せないようだ。)

(解説:サマンサが魔法で右手の上にパイを出現させている。)

色んな物が、表れたり、消えたり、別の物に変わったり。
1960年代には、もうよく知られた技法で、すでに時代遅れだったかもしれないが、
作風にマッチしており、テンポ良くことが進んでくれる。

前回のエントリで紹介した、メリエスの「ロベール・ウーダン劇場における婦人の消滅」(1896年)もユーモアのある作品だ。
(メリエスが婦人を再出現させようとマジックを使うが、骸骨しか出現させることができなかったシーン)

「月世界旅行」(1902年)では、月面を人の顔に見立てて目にロケットがつきささるというシーンでつかわれていたが、このシーンもコミカルであるとも言える。

このシーンを再度、よく見ていると、深読みかもしれないが、次のことに気がついた。
弾丸ロケットが月面に衝突するというのは、「瞬時」に起こること。
ストップ・トリックにより、その「瞬時」におきていることを再現しているということだ。

「衝突」を再現するということは、その直前に物質と物質が衝突点に向かって、片方もしくは両方が早いスピードを伴って、移動しているということである。

ようするに「衝突」だけでなく、その物質の「スピード感も表現できる」。

「月世界旅行」では、目にもとまらない、スピードで、飛んでいったロケットが瞬時に命中したという印象を与えることができる。

「瞬時に起きる現象」

これが、この技法が、うまく機能する、もう一つの例ではないかと思う。
興味深いのは、これは「魔法」の再現ではなく、現実に目にすることができる現象を再現しているということだ。
(ここで「現実」とは、月面の目にロケットがつきささるということを指しているのではなくて、物質がなにかに衝突したり爆発したりするという意味)

つまるところ、ストップトリックというSFXの技法は、魔法という「非現実」を再現するだけでなく、瞬間に起きる「現実」をも再現するために使われるようになったということだ。



メリエスの「月世界旅行」(1902年)を、さらにみていくと、別の場所でこのストップ・トリックが使われている。
Youtube: A trip to the Moon (Part 2)

それは、月面人(?)を傘でたたくと煙と共に月面人が消滅するシーン。(3:30)(4:40)
月面人がいる映像と、煙が発生する映像を別取りしてカットでつないだだけだが、実になめらかで効果的だ。

(解説:
画質が悪い上、小さいので、わかりにくスクリーンキャプチャだが、
左から、
「すわっている月面人に立ち向かい傘をふりあげる探検隊」
「傘を振り下ろし、月面人のいたばしょに爆発(煙のみ)がおこる」
「煙が立ち上る」
の順になっている、
ストップトリックは左と真ん中の画像の切り替えに使われている。)


爆発を表現した煙は、瞬時にあらわれても違和感がないどころか、爆発という急激な変化を再現できている。
立ち上る煙によって、観客の注意をうまくひき、物語の継続性も保っている。



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以下の事はまったく自分の想像であることをお断りしておきます。(まぁいつもそうなんですが...。)
いくつかのWebサイト、Youtubeの映像を年代順に調べて観察してみたことに基づき書いていますが、観察漏れ、もしくは収集できなかった情報があり間違っている可能性もあります。



ストップ・トリックは、カットをつなぐことで「瞬時の変化」を映像化できるようにした。
初期のストップ・トリックは、
「置換(変化)」
「消滅」
「出現」
を映像化することに使われた。

それは1フレームの遷移の間におきることで変化の途中経過は映像には表れない。
まさしく「パッ」っと起きる。

そして、その変化が気がつくように使われたのが、「ロベール・ウーダン劇場における婦人の消滅」(1896年)における骸骨の出現である。
その変化が気がつかないように(実際にはわかるが)使われたのが、「幾つもの頭を持つ男」(1898年)における、本当の頭と作り物とのすげ替えである。


そして、ストップトリックは発展した。
ここまで敢えてふれるのをさけていたが、「ロベール・ウーダン劇場における婦人の消滅」では、最初に婦人が布をかけられる。
そしてその布を取るときに、消えるという舞台マジックがそのまま映像技法によって再現されている。

実は、布をかけられているので、婦人がいつ消えたのかどのように消えたのかは、見えていない。
(撮影ミスで実際には、わかってしまっていますが、そこはご愛敬ということで...。)

「消滅」のためにストップトリックが使われているにもかかわらず、その消滅する瞬間は見せていないのだ。

その理由は、実はそこにストップトリックの限界があったからではないかと思う。


現実の世界における変化では、わずか1フレームの遷移の間におきる変化というは存在しない。
これはフィルムの速度の事をいっているのではなく、「0秒」で起きる遷移のことを指している。

現実の世界では、たとえ0.01秒であろうとも、一桁下げて0.001秒の速度で観察すれば、数フレームでの変化が存在する。

要するに「変化」というものは速度の違いはあれ徐々に変化するものだ。

ストップトリックでは、これを再現することは不可能。
ようするにストップトリックは「映画」という時間をとらえる技法において、時間をとらえることが「できない」という矛盾をはらんだ技法なのだ。
これがストップトリックの限界だ。



ただ実際にはフィルムは人間の目で捉えることの出来る限界速度1/24秒で撮影されており、その速度以上なら、フィルムに捉えることができなくても良しとされる。

問題は、1フレーム、1/24秒以上の速度で起きていることだ。
2フレームから3フレームの間におきる変化であれば、フィルムに映像としてのこるはずである。


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「変化」を取るか? 「変化の過程」を取るか?
ストップトリックでは「変化の過程」を撮影することはできないが「変化」を感じさせることはできる。

そこで選択されたのは、わずか数フレームでおきる「変化の過程」は省略して0秒でおきる「変化」として映像化するということだ。

これによりストップトリックは1秒以下というわずかな時間でおきる変化を映像化するという技法としてもつかわれるようになった。

技法も、見た目はかわってはいないが、見る物にそのわずかな時間を心理的に感じさせるような使われ方になったということだ。

それはわずか数フレームかもしれないが、これによりストップトリックはコンマ数秒という「時間」を手に入れることができた。

それは、ここではじめて、この技法が「映画」というものになじむことができたということかもしれない。


ストップトリックの初期におきた発展は、このように技術的な物ではなく「使われる対象の変化」だった。

人間の目では捉えることの出来ないスピードで起こる変化。
たとえば、人間の知覚できるスピードが1/24秒だとしたら、その数十倍の速度で起きる変化の再現につかわれるようになった。

「爆発」
「衝突」

これがストップ・トリックによって映像化されるようになった。

厳密に言うと、爆発や衝突は、わずか数フレームだが、時間軸にそって起きる変化であり、カットをつなぐ技法では十分には、対応しきれていない。

そのため、1/24の変化で感じる事ができる、人間の目には、違和感を感じさせる。

しかし、「数フレームでおきる変化」を映像化できることのメリットはとても大きい。
これにより、表現できる範囲がいっきにひろがる。


飛んできて突き刺さる矢、ナイフ、手裏剣、風車。
爆発、車の衝突、着弾効果など。

昭和の時代のTV特撮で存分にみせられた、様々な効果がそこにある。
今でさえ、つかわれている技法は、この時に発展した物だ。


そして、SFXの技法はさらに発展し、ものの「変化」を再現する技法は、さらなる「時間」を手に入れることができるようになっていく。