このブログを書いていてふと思うのが、苦労して得た知識は他に知られないように守るべきか?ということだ。
特にこの業界の進歩は著しく、5~6年前は知っている人が凄い人に見えたようなことが、今は新卒者でも知っていたりする。
そうなると、そういった知識をもっていても、給料の安い新卒者に取って代われてしまう。
要は同じ事をやっていては、高給取りは、首になる。
そうならないためにもさらなる知識と知恵を持って、より高度な結果を生み出し続ける必要がある。
また、そうならないために、自分たちの知識や知恵を出し惜しみする人もいる。
これは他と差別化を図り生き残るためにも、高度な戦略では必要な事になる。
例えば大企業同士の場合はそうだ。
しかし、それは個人にも当てはまるのか?
苦労して得た知識なら、後から来る人が苦労が少なくてもすむように手助けしてあげたほうがいいのではないかと思う。
良き先輩方はそうしてくれたはずだ。
それは、自分が仕事を失うことにつながるのだろうか?
もし、そうならそれは自分がより一層努力しなくてはいけないことを怠っただけなのではないか?
この仕事はたえず上を見続け、より高度な物をもとめていく必要がある。
たえず歩き続ける必要がある、息の抜けない仕事なのかもしれない。
良いことか悪いことかといえば良いことだと思うので、いままで自分が得た知識を公開している。
そして良い流れは、また別の良い流れを産み、めぐりめぐっていつかは自分のところに戻ってくると思う。
自分の所に返ってくるなら、その流れを止める理由があるのだろうか?
皆が向上し、その向上によって自分も助けられる。
なら、何も損になることはない。
知識を一般化し、より簡単に得られるようにすることで、全体が向上してきたことは歴史が証明している。
知識を広めないようにし、ひとところにとどめることで、独裁がうまれ、差別がうまれ、進歩が止まったのではないか?
まぁそれほど大げさに考える必要もないのかもしれない。
この仕事の知識の大きさはどうだろう?
広げる価値がある物なのか?それとも自分の利益を守るために死守すべきなのか?
死守したところで、いつか誰かが広める。
守りに入った人生は、退屈でもあるし、苦しくもある。
もし仕事がとられてしまうなら、自分はもっと高度な仕事につけばいい。
高度な仕事が存在しないなら、その仕事でできることはもうない。
違う仕事につけばいい。
けちけちするぐらいなら、そのほうがいいと思う。
それとも、これは頭の悪いやり方なのだろうか?
<2009/12/28 追記>
是非、このエントリに対するコメントも読んでください。
私は上で、偉そうに理想論を述べていますが、よくよく考えてみると自分もすべてを公開しているわけではありませんし(時間的にもまとめきれませんw)。実際この業界の細かなスキルまですべて書き切れるものではないとは思います。
もしみんながそうすれば可能かもしれませんが、違う考えを持っている人に押しつけるつもりもありません。
やや批判的な書き方があったことは、反省しています。(まぁ以前、そうでなひとがいてあまり良い印象を持たなかったのが尾を引いていますね。)
まぁ、もともとそれほどすごいことをやっているわけでもないので、Melスクリプトに関してこのブログでやってきた方針を変えるつもりは、ありません。
この点に関しては、上記のことを貫いていこうと考えています。
ただ、これからの自分の考えをもう少し柔軟にしてもいいかなとは、思いました。
時と場合、おかれた環境、情報の内容など、臨機応変な対応も考えよる必要があるかもと思いました。
いつか誰かが広めるとしても、そこまでいくのにはある程度時間を要します。
返信削除それが、1ヶ月先か、10年先か…というところが注目すべき点でしょう。
もし、後者なら、守る意味は十分あると思います。
その間、自分や周りの仲間とその家族を食べさせていくことができますし、次を探す準備もできます。
完全にオープンになった知識では、誰も稼げません。
こういう考えもあるということで、一応、隅にでも置いておいてみてください。
もちろん、出したい人はどんどん出せばよいですし、出したくない人は出さなければ良いと思います。
誰かがどちらかの考えを強要してよいものでもないでしょう。
どうしても出したいとしても、それはさらに高度な仕事を獲得してからでも良いのでは、とも思いマス。
ケチるということではなくて、自分や家族、仲間を守る為という意味でです。
ではでは。
匿名さん、コメントありがとうございます。
返信削除たしかに強要することではないですね。
コメント読んで、理想論に走りすいぎるのもよくないと思いました。
個々人のおかれた環境や、出す内容にもよるのでしょう。
たしかにすべての情報を公開していては、多くの人は食べていけなくなります。
「ケチる」という表現を使うときその裏には、言葉を口にした自分のもつ批判がこもっていると思いました。
もう一度、自分の考えを冷静に見直して、もっと柔軟に考えたいと思いました。
良いコメントをいただき、ありがとうございました。