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2010年10月9日土曜日

夢の実現と「感銘」のもつ力

<前置き>
以下は、自分の思いつきやこれまで考えをまとめたもので、思いついたときに書き足したメモをまとめたものです。
理論的に間違っていたり、話がまとまりきっていないのは、私の力不足です。

これが絶対正しいと主張するつもりはありません。
これを書いた目的は、現時点の自分の考え方を、あとで見直すためです。

自分の間違いを正し、嫌いな物を好きになろうという努力をすることは必要だと思っています。
なので自分の理論が間違っていたとしたらそれを受け入れようと思います。
嫌いな物や人は嫌いと言いますが、それに固執するつもりもありませんので、それらを理解すると好きだと言い始めるかも知れません。

人は自分の考えや好みが変わることはあると思いますし、自然なことと思っています。
そして現時点での自分の考えや好みを、表に出すことは誰かを不快にするのではない限り、悪いことではないと思っています。

自分の考えや好みが変わったときに、過去の自分の考えや好みを見直すことで、自分の思考の傾向を理解する助けになり、自分の進化や周りに対する理解を深めてくれると思っています。
それが、メモとして残す理由です。


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<感銘と夢の実現>
「感銘」:忘れられないほど深く心に感じること。(明鏡国語辞典)
「夢」:将来実現させたいと思っている願い。(明鏡国語辞典)


人は自分が感銘をうけたものを、やりたい、所有したい、身につけたいなどと強く思う。
特に幼児期に感銘を受けた体験は、その人間の一生の基盤となっていく。 
感銘を受けた物はこころに残り、その人の言動の方向を決めていく一つの要素でもある。

誰もが自分の子供には、幸せになってもらいたいと期待し、いろいろなことを学ばせようとする。
それは勉強に限らず人生のこと、音楽、運動など全般にわたる。

うちはこの方法で子供に音楽を学ばせた。

これをうまく導くには、子供に感銘を与えるようなものを見たり触ったりして経験させるのが一丸良いと思う。
うまく利用すれば親が望むものに興味を持たせる事も可。
一種のすり込みなのかもしれないが、無理矢理やらせるよりは自発的で害が少ないと思う。
ここでの焦点は「放任主義」とか「親の身勝手」とかそういう教育論の話ではない。

「感銘」というものがいかに人を動かす原動力となるか?という話である。
「感銘」のすばらしい点は「自発的に自分自身を動かす原動力になる」ということである。
誰かがやれと後押ししたり強制する必要もない、自らがどんどんとそれを吸収するのに夢中になっていく。
少々の障害は乗り越えようとするやる気につながる。
「感銘」はその人の人生を動かす原動力であり、莫大な力を持っている。
多くの「なりたいもの」、「やりたいこと」といった将来への夢は、この「感銘」を受けた事柄からなる。
まさにその人の人生を左右する力を持っている。



幸か不幸か、親や先生が用意したものすべてから感銘を受ける訳ではない。
こちらの思惑が、はずれることは多々ある。

感銘とは与えようとして与えられる物ではないとも言える。
ある人があることに真剣に打ち込むその姿もしくは、それにより生み出された物事によって人は感銘をうける。
ノーベル平和賞を受賞するような人は、自らの行動を持ってして結果を生み出し、その両方によって他の人に感銘を与える。
まちがっても「感銘」を与えるためにそうしている訳ではない。
「感銘」を与えようとしていることを感じた時点で、そこから感銘をうけることは無くなってしまう。
そのため、子供に感銘を与えようとするときは、自分の行動で与えることができないことは他者任せにする。


もう一つ重要な点は、ある程度時間がたつと、その力が薄れていくことがあるということ。
そしてもっと強い感銘を受ける事柄があると、そちらへ注意は遷移していく。

子供の時の夢を、すべてのひとが実現しているわけではないことは、それが原因だろう。
それは悪いことを意味しているとは限らない。
もっと有意義なことに夢を見いだして変わっていったのかも知れない。

夢を実現した人は、この感銘を受けた事柄が自分の心の中で色あせないように、意識するしないにかかわらず何かしてきたのだろうと思う。
もしかしたら何もしないでも、それが心の中に力を失わないで残り続けている人も居るのかもしれないが、そういう人は少ないのではないかと思う。


何か実現したい夢があるなら「感銘」を受けたことをたえず、刺激する環境に身を置くのがひとつの方法かも知れない。
行動力のある人なら、自然とそうしているだろう。
行動力のない人なら、意識的にそうする必要があるかもしれない。


CGアーティストになりたいなら、その目でみて、触れて、会話をすることである。
最初の「感銘」に関連する、大小様々な新たな「感銘」を体験し、自分の心の中に蓄積していくことだと思う。
それによって元となった「感銘の力」に、さらにエネルギーを与え続けることができるのだと思う。

それは何でも良い。
力を与えるなら小さいことでも大きな事でも良い。
とにかく継続し、行動することが大切なのだ。

最初は、その業界にメールを出すことでも、講演会に顔をだすこと。
会社説明会に参加したり、見学をするのもよいかもしれない。



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「能力」:物事を成し遂げることのできる力 (明鏡国語辞典)


幼児と生活を共にしていると、その感銘を受けた瞬間の周りの環境や自分の感情を事細かに、記憶していることがわかるときがある。
非常に事細かなニュアンスまで、正確にとらえている。
言語の習得においては、音声の発生だけでなく文法的な単語の並べ方まで正確に捉えている。
特に感銘を受けた物に関しては、すばらしい集中力でもってそれを成し遂げている。
一瞬にしてその場の体験を感覚や感情を含めて自身のなかに複製をもってしまう。
それは真似とかコピーという言葉ではおいつかないほど、すばやく、正確で細部に至る。
時間は必要ない、一瞬でそれがなされてしまう。

考えるより早いというか、これが思考の基盤となるメカニズムなのかはわからないがとにかく一瞬でおきてしまう。
そしてこれは、(おそらく)どんな子供にも備わっている。

とにかく良い悪いは関係ない、自身が感銘を受けた物を克明に細部に至るまで時間経過も含めて瞬時に心の中に吸収してしまうのだ。
何か物事が起きたときに、子供の内部でそんなことが起きているとは気がつかないことが多い。

後で子供の中に蓄積されている事柄が表に出てくることで驚かされる。

そのときの出来事が心の中に再現されている。
そして後になって、その心の中の出来事を再度見て、模倣していたりする。
重要なのは、そのときの感動もそこに植え付けられており、それが現時点でも同じように体験できるということだと思う。

幼児の言語における表現力は劣るため、表にはその一部しか現れない。
本人も説明できないので、そのようなことが内部で起きているのは周りからは認識しがたい。
しかし、注意深く観察していれば、思いがけないときに心に蓄積された物が表出し、その詳細さに驚かされることがある。

これは時間を経るにしたがい通常は徐々にデティールが失われていくが、長い間そのクオリティーを維持する子供もいる。
通常それは記憶力がよいという形で現れる。



さてこの能力は子供だけの物かというとそうではない。
大人になっても感動した時などは同じ事が起きていると思う。
意識することはないかも知れないし、感動することは子供の時より減っているかも知れないが、「感銘」を心の中に留める機能は同じく、備わっており機能する。

上記のことから、「感銘」したことを心の中に留めるという能力は誰もがもっており、大人も子供も持っている能力であると言える。

その能力がある以上、いつでもそのパワーを利用できるということでもある。
最初に触れたように、夢を実現するにはそのパワーを有効利用すると非常に助けとなる。
いつでもやる気を引き出すことができ、自分の人生を好転させることが出来る。

そう考えると、どんな夢でも実現するための基本的な能力はすでに備わっていると言えるかも知れない。
「自分には才能がない」というのは良いわけに過ぎない。能力のない人間など居ない。
・・・といえば極論になるか?
でも自分はそう思っている。

そしてこの能力を生かし切るには努力が必要となる。
その努力の一つが先ほど述べた、「感銘」を受け続け、最初に受けた「感銘」のパワーを活性化し続けることである。
夢を達成するにはもう一つ必要だ。
夢の状態を達成したときに行っているであろう行為を、少しづつでも実行すると言うことである。

「感銘」のパワーをいくら活性化し続けても、それは永遠と続く滑走路を走り続けているような物である。
1mmでも良いから浮かび上がり続ける努力をしなくてはいけない。
そうしないと、夢を妨げられたのと同じく、夢は達成出来ないように感じ、結果的に夢を失う。
その努力の基準は簡単だ。
夢の状態を達成したとしたら、そのとき自分がしているであろう行為(仕事)を、いま少しでも身につけ実行するということだ。
それを絶え間なく続け、ほんの少しで良いから前日よりも多くのことができるようにこころがける。
これは「感銘」のもつパワーと一緒になるととても強力になると思う。


「好きこそ物の上手なれ」という言葉はまさにその通りだと思う。
「感銘」とそれと相乗効果をもつ「夢へ近づく努力」。
程度の差こそあれ、好きであれば知らずとその二つを実行している。

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おまけ

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