日本でハリウッドVFXを制作! 「経産省アイディアボックス」 結果:  
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2010年5月16日日曜日

サンダーバードと現在のCG (補足)

前回のエントリでミニチュアVFXがすばらしくてCGがへたれのような事を書いたが、言いたいことがうまく言えてないような気がしていたので、ちょっと補足しておきたい。

サンダーバードを初めとする数多くのジェーリー・アンダーソン作品は、リアリティーが他のTV物と比較して優れていたと言うことで、これが最高だと言うつもりはない。


ITC作品のミニチュアSFXは、完璧ではない。
子供目にみても、どうしてもわずかな動き、質感などで、ミニチュアだとわかってしまうことはある。
どちらかというと、ミニチュアでここまでのリアリティーを出していることを、すごいと感じていたのかも知れない。

現在のCGでも汚しや、様々な工夫がされてリアリティーを上げる工夫が細部にされていることは百も承知である。
スターウォーズEp5,6,7の宇宙船は汚しが徹底されミニチュアと見まがうほどのものだ。
アバターの空中に浮かぶ岩や、District9のエイリアンも本物に見えるほどで、ITC作品とは比較にならないほど細かな部分まで作り込まれていると感じる。
効果的なデフォルメも「2010」にみられるように、ただ壊すのではなく、見た目のおもしろさを考えて建物が倒壊していくようデフォルメされている。
これらは他の映画でも同様に、気遣われている。

それでもCGよりもミニチュアのほうが、CGとは違いリアリティーを感じるのはどしてなのか?
たんなる幼児体験ではすまされないものがあるような気がしてならなかった。
これが前回言いたかったことだ。


その一つに動きがあるように思う。
最近はシミュレーションが発達して、かなりリアリティーのある動きが作られるようになった。
それでも、現実の物体の動きとは違う。
いかにリアルに見えようと、現実の物質の動きすべてがそこに存在しているわけではない。
ミニチュアは逆に、スケールや質感こそ違えど、すべての動きはどんな物であり現実のものだ。

たとえウルトラマンで怪獣が倒れたときにビルが跳ねていても、それは現実の動きということだ。
ここから考えると

ミニチュアSFX
本物とは違う動き=>でも真実の動き

CG
本物とは違う動き=>真実ではない動き


と言うことになる。
他にも細かくみればライティングのなじみなどもある。
(それらは年々、改善され、District9では、ほぼ解決されたのではないかとさえ思っている)

映像に表現されるものは、すべて作り出された偽物であることはわかりきっているし、それが前提となっている。
しかし、それでもミニチュアではすべてが現実である。
そしてCGは現実ではない、いわば虚像を見せている。
個人的には、それがどこかでみる側に伝わって現実とは違う違和感、居心地の悪さを生じさせているのではないかと思う。

悪く言えば、実写=現実のものを見せるところで、嘘をついており、観客をだまそうとしているということになるのかもしれない。

詳しい考察はしていないが、この居心地の悪さは、ロジャーラビットのアニメーションと実写の融合に近いかもしれない。


最初からすべてが人工的な作り物だとわかれば、観客の反応は違う。
それが現在のCGアニメ-ションではないかと思う。

「ヒックとドラゴン」「カールじいさんの空飛ぶ家」など最初からすべてが「現実ではない」とうことが前提になっているので、だまされ感もないし、安心してみることができる。
これに関してはCGの高感度もアップして、「どうせCGでしょ」という話は出てこない。
そのせいか、最近はそういったアニメーションの仕事のほうがCGを効果的に活用できるのではないかと感じる事がある。

当然ながらCG最前線で働いている方達は、このことは百も承知で、年々、改善されてきているのだとも思う。
またこのあたりの事をよく知っている監督は、いまだにミニチュアを多用する。
「ダークナイト」などはミニチュアが非常に効果的につかわれていて、リアリティーがすばらしい。

これは技術面の問題、生理的な感覚の問題であるから、物語を語る上で支障にならない程度ならクオリティーは低くても良しとする、配給元の経営陣の思惑も、障害となっているかもしれない。
彼らはそこまでCGのできにはこだわらない。
スケジュール通りに、ひどくない程度に仕上がっていればそれでよしとする人が大半を占める。


どちらにしても、言葉には出来なくても人は違和感を感じてしまう。
以前のエントリ「VFXの不気味の谷」で書きたかったことも、こういったことだったのだと思う。

これからのCGは、CGと現実の間にある、わずかな部分の違いを明確にして、補正していく作業がいよいよ大詰めを迎える時期だろう。
そして、それらを見抜き正すことの出来るVFXスーパーバイザーやアーティストが、より必要とされていくのかなと思う。


そしてアバターでWetaが使っていたようにハードウエア・アクセラレーションが、その鍵となるような気がする。




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ところでサンダーバードが自分の原点だと気がついたことで、ここ1年近く追い求めていた答えがでたと思う。
「これだ!!」という感覚がそれほどないのが若干さみしいというか「本当にこれだろうか?」と不安にさせるが、現時点では疑いの気持ちは起きてこないし、落ち着いた感じがある。
おそらく99%ただしいと思う。

実は、1年ほど前から自分の映像に関するルーツを探るべく、昔見た映像を思い出して、そこにある記憶などを別のブログを作り、記録していた。
とはいっても、なかなか時間が取れず更新していたのは最初の2ヶ月ぐらいだがw。


自分のルーツを、明確にすることは、自分の興味の特性を知り、これからの映像への関わり方を考えていくことに役に立つ。
これは些細なことのようにみえるが、「自分を知る」という意味で非常に重要だと思っていた。
何か、変化させるには、その変化させたいものが明確に成っていないと中途半端になり、周りの環境の変化により容易に影響を受けてしまう。
端的に言えば、はやりの映像みるとその流れに流されるとか、とにかく「自分」というものがないと考えられる状況だ。

ルーツがわかれば、そのあたりがしっかりとしてくる。
はやりの映像にあわせるにしても、流されることはない。
自分を見失うことがない。

今回のことは、自分にとって重要な事で、自分の映像人生におけるあらたな出発点となると思う。

おそらく、このブログをお読みの方などは、そんなことはとうの昔にわかっている方達が大半だと思うが、私はSFというものが市民権を得る前の時代に片田舎で生きてきたw。
その環境では、映像製作という人生は周りから肯定的に受け止められず、自分の夢さえも否定する必要があった(否定しきれなかったが)ので、いつしか自分を見失っていたように思う。

自分なくして創作は無し。
これは創作が命の、アーティストにとって致命的であった。

これが「自分のあらたな出発点となる」というのは、アーティストとしての出発ということである。


さて、下のYoutubeにある映像が、記憶にある限り、この人生で一番最初に見たサンダーバードの映像であり、その後の人生に影響を与えた映像である(と思われる)。
4:10あたりのパラボラアンテナが崖をおちていくシーンである。


これは第30話の「太陽反射鏡の恐怖」という話
ちなみに初回放送でみたわけではなく、地方局の再放送。

上記で「と思われる」と書いたのは実は、この記憶にある映像はもっと迫力があったように感じているからだ。
しかし、落ちていったのはパラボラアンテナであり、崖の途中に引っかかっていたような記憶もある。
そして何度も崖のシーンが繰り返しでていたのも記憶の隅にあるので間違いないだろう。

そのときは隣の家で、居間にあるこたつに入って、お菓子をたべながらテレビをみていた。そのうちのおじいちゃんもいて、確か囲碁をやっていた。
多分、時代的にテレビは白黒、こんな感じのテレビが畳の部屋の床の間のとなりに置いてあった。
いまにしておもえば、あの家は建て替え前の古い家だったんだなぁw


幼稚園ぐらいのときだと思うが、何でそこまで自分の家であるかのようにくつろいでいるのかw
まぁ同じ年の子供がいたのだが引っ越してきて間もなかったと思う。
遊びに行ってたんだと思うが、おそるべき幼児の適応力であるww
そのあたりさっぱり前後関係は記憶にない。
そしてその場で、こたつの布団の上にみかんを頃がして再現していたと思う。


これのおかげで爆発やら崖が崩れ落ちるのが大好きになってしまったw
この後は、前回プラモデルの話で書いたように、サンダーバード系の遊びが数年、続くことになる。
まじめに考えると、このときにミニチュアのもつリアリティーの底力をみることになったのだろうなと思う。
もし、これのせいで道を踏み外すことになったんだとしたら、TVの影響力、恐るべしw

当然ながら、こんな会話の多い話が幼稚園児に理解出来るわけもなく、退屈な時間をすごしていたわけで、アクションだけが余計に目についたのかも知れない。

もちろん、道を踏み外す原因になったのはこれだけではなく、スターウォーズで思いっきり軌道補正されている。


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おまけ
日本製人形劇「Xボンバー
サンダーバードに比べるとかなり落ちますが、けっこうメカのデザインやミニチュアが凝っていて、おもしろかった記憶がある。
なんとサンダーバードが生まれた国「イギリス」へ輸出されて好評を得た作品です。
英タイトル「Star Fleet」。
日本も頑張ってました。

2 件のコメント:

  1. こんにちは。昨日に引き続き失礼します。
    このエントリを読んで、僕は平成ゴジラの特技監督を務めた川北紘一監督の言葉を思い出しました。少し長いのですが引用させて下さい。申し訳ありません。

    「・・・ただね、CGだったらなんでもできるというけれど、そこに映し出される絵っていうのは、結局人間が頭で考えたことを超えられないんだよね。逆に俺達がやってきたのは、頭の中で考えたイメージを忠実に再現することは難しい。ミニチュアを崩すわけだから、何回も取り直すこともできない。その一発勝負の緊張感というのかな、特効も操演も撮影も気持ちを一つにして最高の瞬間を捕らえる。その結果、こちらが意図していないようなすごい絵が撮れることもあるわけだよね。その魅力だけは、絶対にCGでは出せない。」(『特撮魂』より)

    計算できない動きを捕らえる、という魅力はやはり実写ならではなのかと思います。科学的ではありませんが、この現場の緊張感、テンションみたいなものも、ブラウン管やフィルムを通してやはり観客に伝わっているのでしょうか。

    と同時に、一度しかないチャンスに、どう撮るか、どう動くか、どう見せるか、といった絵作りを徹底的に考えていたんだろうなと。そういう一瞬にかける真剣さが、人の心を震わせる高いクオリティに繋がっているのかなとも思うのです。

    技術的な面もそうですが、そういう基本的な意識の持ち方でも作品の魅力が変わってくるのかもしれません。高い意識を持とうとおもいました。今回もいろんな気づきがありました。素敵なエントリをありがとうございます。

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  2. 申し訳ないなんてとんでもない。勉強になります。

    うすうす、感じては居ましたが、さすがに現場で経験を積まれている方は、はっきりと認識していますね。

    真剣さに関しては、こんどまた書こうと思っていたんですが、最近の映画監督、特にCGで何でも出来る修正も簡単と思っている人は、ビジョンが明確でないことが多々あります。
    そしてそれを押しつけられるスーパーバイザーもそれを受け入れざるを得ない傾向があるように思います。
    やはりミニチュアだと、一発勝負なので、事前にイメージを明確に固める作業が徹底的になされます。
    その経験のない監督は、それができないのだと思います。
    そして結果的に、最後の最後までずるずるとイメージが固まらないまま「ああでもないこうでもない」が続いてしまう。
    そして映像にもその優柔不断さがあらわれるのではないかと感じます。
    ジェームスキャメロンは事前の指示がかなり具体的で明確だと読んだことがあります。
    そこから考えると、細かなところまで気を遣うことができるのも事前に具体的なことを決定するイマジネーションと決断力があることからできるのかなと思いました。
    今度「特撮魂」読んでみたいです。

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