チューリングマシンは何を示したのか
チューリングが示したかったのは、あらゆる数学の問題を自動的に解くことができる「究極のアルゴリズム」は存在しない、ということだったのだ。
もしそのような「究極のアルゴリズム」が存在すれば、もう数学者はいらない。
アルゴリズムに従って機械的な作業を続けるだけで、数学の問題は次々と解けることになるのだから。
ここから思ったのは、数学にかぎらず、宇宙の真理さえ、コンピュータでとけてしまう。
思い出したのが、映画「The Hitchhiker's Guide to the Galaxy」に出てくる「この宇宙の時空で二番目に優れた」コンピュータ「ディープソート」。
(ディープソートは750万年かかって生命、宇宙、そして万物についての(究極の疑問の)答え「42」を出す。)
なにかプログラミングしようとするなら、具体的に「何を処理させたいのか」というアイデアがなければ、先へすすまない。
そしてアルゴリズムを人間がまず考え、答えにたどり着くことを証明しておかなくては、ならない。
コンピュータは自動的にアルゴリズムを考えたり、アルゴリズムの間違いをみつけてはくれないからだ。
今回は数年前に勉強したときよりもインターネットから集められる情報が増えていたので、もう一歩踏み込むことができた。
「変数」という概念をプログラミングで用いるようになったのはなぜか?
その原点を探ってきて、コンピュータの歴史をたどっていった。
ソフトウエアからハードウエア、ハードウエアから思考論理へとさかのぼってきた。
それは思考論理があり、それをハードウエアに実装し、そしえてソフトウエアが発展してきたからである。
「変数」というものが、コンピュータのハードウエア設計での「メモリ」からはじまり、そのはたらきを記号論的にあつかえるようにしてきたのではないかと思っていたが
それ以前に、思考に関する考察、論理があり、そこからハードウエアがうまれてきているという経緯があることがわかった。
そしてその論理段階では、ブール代数とチューリングマシンが大きな役割を果たしている。
そこで、メモリや変数にかんするものをあつかっているのは、チューリングマシンであり、ブール代数ではないと思う。
また年表で見ると、下のようになるが
1822年 階差機関
1837年 解析機関に関する初の記述
1854年 ブール代数
1936年 チューリングマシンの論文
バベッジの解析機関ではそれよりも昔にもかかわらず、メモリという概念、変数という概念がつかわれている。
チューリングも指摘しているように、電子だからというわけでメモリが必要だったわけではない。
メモリが必要だったのは、数学的な思考の過程で必要なのである。
チューリングとバベッジの共通点は、どちらもその思考の過程を単純化し、すべての思考の共通点をみつけようとしたことだ。
チューリングの理論をしらべ、そこを探っていくことは、バベッジの考えを探ることにもなるのだと思う。
ただ、論理回路以前のものなので、数学的な思考には、メモリが欠かせないことがわかる。
メモリを結びつけて考えるのは、なんとなくずれがあるような気がする。
もちろん、メモリ内の場所を示していると言うこと以外にも、いろいろと結びつきはあるのだが、
2009年2月15日日曜日
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