論理学に関する記述を読んでいると「命題」と言う言葉は避けて通れない。
そこで、今回は「命題」を調べてみた。
まず由来だが、
「命題」は、英語で「proposition(提案、問題、主張という意味がある)」。
「持ち出す、提案する、推薦する、申し込む、計画する」という意味の名詞。
動詞「propose」からくる。
「propose」の語源は、「中フランス語proposer(pro-前に+poser置く)」。
「前に置く」という意味である。
日本語の「命題」は西周(にし・あまね)によって作られた訳語で、
「Yahoo!知恵袋」の回答によると、その由来は
「命」とは主君の意図を言葉にして発することです。
今回は「言葉にする」というところに主眼があるのだと思います。
私の推測でしかありませんが、主語と述語とが結びついてできたある事態(「題」)を、真か偽か判断できる形で言葉に直す(「命」)ということで、「命題」と名づけられたのではないでしょうか。
さて、「命題」の定義は、
命題(wiki):意味に不明瞭なところがない文章の事。
命題(Yahoo!知恵袋)
主語と述語とを備え、真か偽か判断することのできる文のこと。
また、判断したことを言葉にしたものを指します。
要するにあいまいでない文のことです。
そのため、疑問文(……であるか)、命令文(……せよ)、様相文(……であるかもしれない)などはこれに含まれません。
蛇足だが命題の解釈で注意すべき事がWikiに述べられている。
誤解されがちだが、命題そのものに真偽が割り振られているわけではない。
また 知識の積み木 (カテゴリー論) には、主語と述語との関連もかかれている。
命題とは、主語と述語で形成されるが、主語は特定の個物を指示するだけであるため、実質的な命題の意義は、様々な存在規定をあらわし固有性と付帯性に分類される述語(第二実体)で明確化、決定される。
よって、知識の実質は述語にあるといえる。
この「主語と述語で明確に表される文章」(=命題)をいかにに記号化するか
それについてよりわかりやすくまとめてあったのが以下のページの「1.基本原則」のところ
「プログラミングの概念に基づく記号による抽象言語について」:
「私は人です」は、集合の記号を用いて書き換えると、
実は”私⊂人”という状態をそのまま形式的に置き換えたものであるということがわかる。
余談だがここにも「集合」の考え方がでてきており、いろんなところで相互に関係しているんだなとわかる。
たとえば「A」という命題があるとき、それは「集合A」ということができる。
上記の例でいえば、「私」という要素をふくむ「人集合」である。
この主語と述語の関係は以下のページにも詳しく説明してある。
「第7節 述語論理学における主語と述語」
この記号のFとは、盲導犬ということです。(a)というのは盲導犬であるこの犬をさしています。
そして、このFが述語になり、(a)が主語になります。
どういったものが述語になり、どのようなものが主語になるのでrしょうか。
一般的には、述語のほうが、主語よりも範囲が大きいものを選択します。
盲導犬(この犬)= F(a)
とは、この犬は盲導犬ですという文を記号化したものなのです。
では、命題がどのように論理演算とかかわってくるのか、wikiの「命題論理」をみてみた。
命題論理において問題になるのは、個々の命題の「意味」よりも命題を「かつ」「ならば」などの論理演算子で関係づけたときにどんな推論ができるか、ということである。
複数の命題を関係づけたものを「複合命題」とか「命題の合成」という。
数学の論理
いくつかの命題から別な命題を作ることを命題の合成という。
ここではじめて、論理演算の記号が関係してくる。
例をあげて、具体的に見ると
P:命題1
Q:命題2
P∪Q:合成された命題
とうことになる。
注意すべきなのは、「P∪Q」のような表現を「命題」というのだと思っていたが、これは「複合命題」である。
ところで論理演算の基本はAND,OR,NOTの3つしかない。
なぜ、この三つだけなのだろう?
すべての論理はこの三つで説明がつくということだとは思うが、本当にそうなのか?
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