よく「コンピュータを使うには、コンピュータが理解できることばに置き換えてやる必要があります。」
とか、「コンピュータが考えられるように・・・」という説明が「プログラム」の解説によくあらわれる。
「理解」「思考」というのは、擬似的な表現で、実は理解や思考はしていない。
。。というと、人工知能を開発している人から叩かれそうだが、
実際コンピュータは限りなく理解/思考しているように見せることはできても、自ら自主的に理解/思考しようとはしない。プログラムによってそのように見えるだけである。
たいしたことはないように見えるがコンピュータを理解する上では重要な一要素である。
なので「理解」「思考」ということばを使うと、まるでコンピュータが自主的に理解してくれるかのような誤解を与える。
だからバグで、非感情的なメッセージでエラーを返してきたときに、突き放されたような不快感を覚えるのではないかなと思う。
このことに関してはチューリングマシンを考案したアラン・チューリングによって述べられている。
BRAINS~コンピュータに賭けた男たち~
「現在のコンピュータと人間の思考との大きな違いは、アルゴリズムを見つけるアルゴリズムがあるかどうかです」
「正しいアルゴリズムを入力してやれば、コンピュータは正しい答えを出してきます」
「だけど、そのアルゴリズム(解法の手順)は人間が入力してやらなければならない」
「ところが人間は、誰に教わることもなく、自力でそのアルゴリズム(解法の手順)を見つけてきました。つまり、人間の思考にはアルゴリズム(解法手順)を見つけるアルゴリズム(思考手順)が存在するのです」
実はこのこと「コンピュータは理解するか?」「思考するか?」というのは「コンピュータは何か」を調べていたころ、ずっと課題としてあったものである。
自分がだした結論は「理解しない」「思考しない」である。
フロー(流れ)でも書いたように、コンピュータは基本的にはピタゴラ装置やルーブ・ゴールドバーグ・マシンのように連鎖反応をおこしていく装置にすぎない。
だれもピタゴラ装置が「自分の考えを理解してくれない」と文句はいわないだろう。
もうひとつおまけ、チューリングにかんするリンク
チューリングの遺産 ~エニグマ暗号とTM~
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