黒澤明と北野武、そして宮崎駿との対談をYoutubeで見つけたので、後でみるためにメモ。
もともと、それほど時代劇が好きな方ではないので、黒澤明作品でまともに見たのは、「天国と地獄」ぐらい。
「天国と地獄」では、前半のまるで舞台演劇のような撮影から、後半のテンポのよいカメラとストーリー展開(カット)は、こんな映像表現があるのか?!と驚かされた。
個人的には、北野武に思い入れはなく、作品も「座頭市」ぐらいしかみたことがない。
ちょっと暴力表現がすぎるところがどうしても敬遠してしまうところだが、「座頭市」は、おもしろい表現だなと思うことはあった。
まぁ感動とまではいってないが、北野武が言っていることは正論というか真意をついていると思うことが時々ある。
人生に幸せなんて求めること自体勘違いなんだよ。
世間じゃよく、どうせ死ぬんだから楽しく生きようなんて言うけどオイラは逆で
どうせ後で死んで身軽になるんだから、生きているうちにヒドイ目に会おう。
つらく生きようと思っている。(北野武)
これは言葉をもう少し選べばいいのにとも思うが、むしろこの表現の方がわかりやすのかもしれない。
まさに人生を生きる姿勢の大切さを表していると思う。
「楽しく生きる」ようにすると、どうしても困難や問題にネガティブになり、避けようとする傾向が生まれる。
しかしヒドイ目に遭おうとすれば、困難や問題に自ら飛び込んでいき、人生に身を任せ最善を生み出そうという創造力が生まれる。
これはまさにポジティブな人生の生き方だと思う。
「究極の映画とは、10枚の写真だけで構成される映画であり、回ってるフィルムをピタッと止めたときに、2時間の映画の中の何十万というコマの中の任意の 1コマが美しいのが理想だと思う。例えば女性のヌードを撮影するってのも、ただ裸の女が出てるだけではなく、ストーリーの中で女が脱いでいくというものであり、グラビアは映画の原型みたいなものだと思う」と語っている(北野武)(Wikipedia)
意味:
任意(にんい)とは「自由意思による」という意味で、思うままに任せることである。
例えば任意投票は投票を行うか否かを自らの意思で決め、任意出頭は出頭する否かを本人の意思に委ねる。
(1)(規則や定めなどによらず)その者の思いにまかせる・こと(さま)。
(2)〔数〕 特別な選び方をしないこと。あらゆる場合、すべての場合というのと同義にも用いる。
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北野武 黒澤明(Youtube)
Part1
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宮崎駿 黒澤明
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