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2010年6月3日木曜日

Apple、インターフェイス、PC その2

さて理想のモバイル端末は「デスクトップ並みの性能」を期待していたが、それは具体的には、MayaなどのCGソフトが起動できる程度であってほしいと思っている。
特に複雑な操作はできなくてもよくて、Melの勉強やちょっとしたR&Dに使えるほどのものであれば良い。

ただ、前回も述べたように、それが実現するのは、かなり後のことになるだろう。

それでもあきらめきれずに可能性をいろいろと探っていたが、そこで、見つけたのがシンクラアント方式。

ワイヤレスの、液晶タッチパネルのシンクライアント。
インターネットに接続してその機能が使えるなら、どこでもデスクトップの性能がそのまま利用可能となる。
実は、モバイルだけでなく、自宅のPCはすべてこれにすべきではないかとも思った時期がある。
大きなデスクトップマシンは、(空調の問題は解決しないといけないが)押し入れの奥か専用の物置に置いておき、モニターとキーボードとマウスだけがワイヤレスで机の上に乗っている。
そして液晶タッチパネルの子機もある。
これが一番すっきりしているからだ。


実際の所、そこまでのものではないが、ELSAが発売したシンクライアントはLAN環境内なら3Dゲームもできるほどの性能を持っている。

ただ、インターネット経由ではやはり、実用的ではないようだ。
テキスト主体のものならさほど問題はなさそうだが、CGのようなヘビーな処理には無理だろう。

実際の所、VNCなどの操作を試した段階で、こりゃ今の技術じゃだめだとあきらめた。



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話が、いろいろと飛んで、前回と今回はかなりわかりづらいエントリになってしまっているような気がするが、もう少し続けたい。

前から時々ブログにも書いているが、私はPCがそれほど好きではない。

ハードウエア(PC本体)に関して言えば、、目の前や足下にはないほうが静かでいい。
家庭用の湯沸かし器や、配電盤が外や目立たないところにあるように、PCもそうであるべきだと思っている。
それが上記のシンクライアントの発想にもつながっている。


元々、8ビット・マイコンの時代から始めたのが原因かもしれない。
それまでは「コンピュータ」というとSFのTVや映画にしか出てこないか、あとは大企業のシステムというイメージしかもっておらず、それがマイコンの時代になり、自分たちの手にはいるということだけでかなりエキサイティングだった。

そう、それまではコンピュータは大好きだったのだ。

しかし、最初のFM-7を購入し、そのグラフィックスの貧相さにがっかりした。
1)期待のワイヤーフレーム画像は、がたがたのアンチエイリアスがない画像。
2)アニメーション画像も、ぱたぱた(点滅する)した感じ。
3)画面いっぱいの大きな画像になると、アニメーション不可
4)市販ソフトの絵でも、へんなところが直線になっていたり、デッサンが崩れている絵が多い。
5)グラデーションがかからない。(バンドが生じる)
8)大きな文字や絵は輪郭を書いて後で色が塗られる。その過程をずっとみて待たないといけない。
9)カタカナ、英語フォントのみ。(漢字は別売りの漢字ROMを買う必要があった。当然高すぎて買えなかった)
10)RGBで全ての色が表現できる三原色なのに、8色しか出ないのはなぜ?!(しかも極彩色!)


その貧相さにがっかりし、何とかしようと、自分でも画像ソフトを借りて、絵を描いたりもした。
(当時はソフトのレンタル店があった、コピーにはダブルカセットデッキを使っていた。)

アニメーションを作るためにスプライト機能を使い、ドット画で、リアルなキャラを作ろうとしたこともあったが、茶色などを作るにも赤と黒のドットを混ぜるような技が必要で、見た目もざらざらしているので限界を感じた。

また、その音の質の悪さにもがっかりした、まるでおもちゃの音しかしない。
後に発売されたFM音源カードを速攻手に入れて、大きく改善されたが、なれてくるとそれでもコンピュータ臭さが感じられるようになってきた。


これらは、以下のニコ動をみるとわかる。


FM音源はFM-7用は現在みれないが、それよりも性能がよいFM-77の動画を見ることができる。


ちなみにこれらの動画は5.25inchフロッピーディスクやコンパクト・フロッピーでの動作を再現したものであり、テープを使っていた場合、そのデータの読み取りにもかなりの時間がかかった。
この読み取り時間が長いのがかなり嫌だった。
たまに読み取り時間が短いと、タイトル部分だけでクリックしたらまた待たされるといった具合。
アドベンチャーゲームなどは次の画面に移るまでにトイレに行ったりお菓子を取りに行く時間が十分にあった。

この待ち時間が、上記グラフィックスと音に対するがっかり感に加えて苦痛だった。
1)かなり待たされたあげく貧相な画像を見せられる。
2)かなり期待させられたあげく、貧相なゲーム。
3)長ければ30分近くまってソフトの読み取りをしているのに、ピーーッとエラー音がしてすべてご破算。
4)ゲームの途中で画面が一行あがって、左下にエラーメッセージが表示されてすべて止まる。


それまではコンピュータは何でもできる万能機械というイメージがどこかにあったので、その制限だらけの現実に、余計にがっかりさせられたのだろう。
プログラムの本などを読むと「コンピュータは何でもできるわけではありません。あなたが支持してやらないといけないのです」と書いてあり、これを真剣に受けて、いろいろなベーシックの本を読んだり、本に投稿されたベーシックやマシン語の入力をしたりして、状況改善に努力もした。
しかし、結果は実らなかった。
実るわけがない、ハードの限界なのだから...。

それでもコンピュータの可能性を高らかに歌う企業広告は、後を絶たなかった。

使いこなせる人もいるだろうが、自分の場合はやってていらいらするし、使いこなせる人が作ったものをみても、なんらおもしろそうなものを作ってない。
これが自分の結論であった。
こういう経過を得て、「コンピュータ=待たされる → がっかりさせられる」という図式が身にしみてしまった。

それからはコンピュータはデータを管理するような「実務には使えるが、エンターテイメントを期待する対象ではない」という気持ちが強くなった。

それからは急速にコンピュータへの興味を失い、模型に興味が移っていった。



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それから3~4年ほどは、学校のコンピュータの授業でベーシックを少しやる程度で、ほとんど触ることもなかった。
そしてある仕事で、マニュアルを作る仕事があり、電気配線図を作るために、IBMのMICRO CADAMを使うことになった。


時代は、オブジェクト指向、C言語はすばらしい解決策か? という話題がPC雑誌に載る時代である。
5.25inchフロッピーはまだまだ現役の時代。

MICRO CADAMは元々はロッキード社が開発したCADソフトである。
直線と曲線を自在に使い、設計図を書くのに適していた。
片手にマウス代わりの「デジタイザ」を持ち、左手は専用のファンクションキーボードを使う。

デジタイザはマウスのようだが、タブレットのように絶対座標であり、CADには結構使い勝手がよかった。

仕事でやっているうちにコンピュータに少しだがまた興味が出てきた。

そのうち会社ですべてのマニュアルの版下と原稿を電子化するプロジェクトが始まった。
大きなコピー機ほどのスキャナとこれまた同サイズ程度のレーザーディスク書き込み装置が運び込まれ、富士通のPCを使って読み取り作業が続けられた。
そこで、読み取り後のイラストの修正、編集作業に使うために用いられたのが、SunのSPARC(おそらくMicroSPARC)だった。


見た目は通常のPCの1/3ほどの薄さで、これで何ができるのだろうかといぶかっていたが、みてびっくり。
3次元でしかもシェーディングされた、立体がスクリーンセーバーで動いているのだ。
コンピュータで初めて進歩を感じた。
実際に使ってみても、画面表示がきれいで、フォントがまるで印刷したもののような繊細さがあった。
そして英語しか使えないマシンなのに、使いやすい。


当時のPCでは比べものにならないほどのポテンシャルをもったマシンであることは、それほど詳しくなくても明らかだった。

ずいぶん後で知ったことだが、トイストーリーにはこのサンマイクロシステムのコンピュータが使われたという。
十分納得できる話だった。


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それからの話を書いてもいいのだが、いつの間にか話が自分のPC歴になっているので、もともと書きたかった本題に戻ることにする。

PCに嫌気がさしていたわけだが、それは30歳ぐらいまでは変わらなかった。
人と話す仕事をしようと思い、電話サポートの仕事について、そこでコンピュータに情報入力したり検索したりすることになる。
またお客さんのコンピュータのサポートなのでだんだん用語やコンピュータのくせのようなものがわかりかけてきた。

これからはコンピュータを知らなければ仕事にならない。
そう思い、リブレットを購入してコンピュータへの苦手意識を減らし、親近感を高めることにした。

週末は図書館にこもり、ハードウエアから、論理式、コンピュータの歴史などを勉強して徹底してコンピュータが何かということを史郎としたこともある。
苦手意識や嫌悪感を少しでも軽減しようとしたのだ。

そのおかげで、かなり苦手意識はなくなったが、完全には消えなかった。

いまでも、できることならPCにはさわらない生活がしたいと思うこともある。


この苦手意識というか、PCに対する嫌悪感が若干和らぐことが最近おきた。

Windowsのエアロである。

Vistaのときに話題になったが、自分はインターフェイスにアニメーションを追加したり、見た目をよくしたりするのにはほとんど興味がなかった。
むしろリソースの無駄遣いとしか思えなかった。

WindowsXPでもクラシックスタイルを使っており、おそらく WindowsNTのころからさほど代わり映えしないインターフェイスを使っている。
それは素早いレスポンスがほしいからで、特に困ることもなかった。

それに、CG屋はこうでないと仕事にならないだろうという考えをもっていた、今でもクラシックスタイルでないWindowsで仕事をしているCG屋をみると「こいつ大丈夫か?」と思ってしまう。


一方で、デザインを勉強したせいか、マン・マシン・インターフェイスには興味がある。
しかしそれは、PCを知らない人にも使いやすくするためのインターフェイスという部分であった。



今回Windows7を手に入れたが、マシン性能が十分なので、困るまではデフォルトのエアロのまま使ってみることにした。

当初はなれないせいもあって使いづらさもあったが、使っているうちになれてきた。
グラデーションやトランスペアレンシ、アニメーションなど、使っていて、みていて、楽しさもある。

そして、今はエアロも悪くないと思い始めた。
最初は無駄だと思っていたのだが、以前に比べてPCに面と向かい合う時のストレスが軽減されたように感じる。

そしてPCに対する嫌悪感もわずかだが減ってきた。

コンピュータのサポートを仕事にしていたこともあるので、そこそこ詳しいと自負していたが、そんな自分にとっても良い効果をもたらしているのだから、コンピュータをあまり知らない一般ユーザーにとってはかなり大きな要素となるのではないか?と思った。


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そのインターフェイスに当初から気を遣い続けたスティーブジョブスはすごい。
Appleは好きではないが、やっぱりこの点は認めるべきだろうなと思った。

コンピュータを知らなくても快適に操作ができて、コンピュータではなくて新たなシステムの恩恵が受けられるようになれるのは、一般顧客にとっては最重要である。

彼らはCG屋のように速度を最優先に据えているわけではない、その利便性にいかに容易に、快適にアクセスできるかと言うことが最優先なのである。

単純なことで、10数年以上前から頭ではわかっていたと思い込んでいたが、感覚的には理解していなかったのだろう。
UIによって、コンピュータがコンピュータの存在感を薄れさせ、そこに提供されるサービスを利用することに集中できる。

これはCGを勉強することとは、もしかしたら対極にあるPCの利用方法だろう。
自分の関心が向いていないと言うことは、本当に「見れども見えず、聞けども聞こえず」の状態になるのだなと少しだが反省した。


タッチパネルのコンピュータが自分にとって重要だと思っていたのは、この部分に関連があるのだろう。
もう少しiPhoneやiPadに心を開いてもいいかもしれない。

タッチパネルである以上、すべてはUIのデザイン(グラフィックだけでなく利便性なども含んだ意味でのデザイン)にかかってくる。
それには様々なトライ&エラーが必要で、iPhonのころから鍛えられているiPadには期待が持てる。

他社がタッチパネルでもっと性能の良いPCを出すだろうが、はたしてUIがiPadを超えられるのかどうかは、わからない。

今の自分としては、そのあたりを見極めてからでも買うのは、遅くはないかなとも思っている。

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