日本でハリウッドVFXを制作! 「経産省アイディアボックス」 結果:  
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2010年6月1日火曜日

新たな旅立ち

今日というか、もう昨日になってしまったが、メモリアル・デイの日、日本へ帰国する友達家族を見送りにLA空港へ行ってきた。 

子供がまだ1歳になるかならないかの頃、うちの嫁さんが、近くの公園で偶然知り合ったママ友。
それから家族ぐるみのつきあいになり、約4年。
家が近くだったことや、とても良いご家族で、いつしか頼り頼られ、家族のようになっていた。
どちらも初めての子育てで、いろいろなことで悩み、喜び、子供成長を見守ってきた。
子供たちも私に大変なついてくれていた。


LA空港には別れを惜しむ人たちのママ友家族が集まり、涙ながらの別れを告げた。

別れ際、最後の挨拶をと思い握手やハグをしたが、少し涙ぐんでしまい、なにも言葉が出ず、ただただ相手の言うことに頷くだけしかできなかった。
別れ際まで、もう返ってこない(少なくとも数年は)ということに実感がわいていなかった。



わからないとは言いつつも、ずっと一緒にいるという感じがしていたのだが、今回、ご家族の不幸があり、急遽帰国が決まった。
これで子供が1歳からのつきあいをさせていただいた家族は、ほとんどがLAから去って言ってしまい、寂しさと、楽しい思い出が残る。

日本に帰ったときに医療のことや、自然のことなどから子供の教育は日本のほうがよいのだろうか?と思った部分もあったが、親しい人たちが日本に帰っていくのをみると、自分も帰ろうかという気持ちにさせられてしまう。

いくら親しくとも、人それぞれ自分の人生があり、その人生をそれぞれに一生懸命いきるしかない。

まだ来年どうなるかわからないが、自分は自分の目の前に差し出された人生を一生懸命生きるしかない。
そして帰国していった家族も同様だ、そこには新しい人生が待ち受けていて、これから苦労することも多いだろう。
人生の厳しさと、ここの人生がからみあういろいろな出会いのすばらしさを、しみじみと考えさせられた。
お互いその厳しい人生を生き抜きつぎもまた笑顔であえることを願う。


帰り道、高速道路の車の中で、子供が「ねぇ○○ちゃん、もう返ってこないの?」と聞いてきた。
わかりやすく何度か説明をしてきたが、親しい人の別れというものを経験したことがなかったので、その実感がわかないんだろう。

自分も小さいときからの友達だった隣の家の子が小学校1年で転校していった。
小さいながらに、幼少期を一緒に過ごした友達は、最高の友達だ。
今では、連絡もつかないが、今もその子のことは思い出す。
最後にあったのは小学3年ぐらいの時に一時親戚の家に立ち寄ったときだった。

うちの子は、東京に帰るたびにあえるだろうから、まるっきりの別れというわけでもないが、文化の違う中での成長が、互いの溝を作らないだろうか?という心配もしている。
そういう溝をものともしない人間に育ってほしいことを願うばかりである。

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