実のところ、いままで「戦艦ポチョムキン」という映画をずっと通してみたことはない。
リンクを見つけて下に貼っているが、大体、自分のブログでリンクが大量にあるときは、ちらっと見ただけで、後で時間があるときにじっくり見るためのメモであり、完全に見たわけではない。
実際、このエントリを書き終わった時点でもまだみてないw
さて、「戦艦ポチョムキン」はモンタージュ技法の話になると必ず引き合いだされる映画である。
「ストライキ」は、同じセルゲイ・エイゼンシュテイン監督の作品であり、これもモンタージュ技法を使った映画である。つくられたのはこちらのほうが「ポチョムキン」より前である。(両方とも1925年)
「戦艦ポチョムキン」は 著作権が切れており、インターネットでも「大久保ゆう」氏による日本語字幕がつけられたパブリックドメインの映画を見ることができます。
日本語字幕はないですが、「ストライキ」(1925年)もPublicDomainの動画で見ることができます。
Strike (1925) : PublicDomainMovie
そのままみてもそのすごさが、自分にはわかりにくいのですが、故:淀川長治による「映画解説」を読み、モンタージュ理論を少しでもかじってから見ると、そのすごさを少しは感じることができる。
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さて、モンタージュは、いまでは普通に使われている技法なので、映画を見慣れている自分には最初なにがそんなにすごいことなのか理解しずらい部分があった。
あまりにも当たり前すぎた。
しかし理論を理解するにつれて、そのパワーがどのように生かされているのかが理解できるようになり、製作者の立場から、より映像作品を理解し、楽しめるようになった。
Wikipediaに書かれている内容をまとめると以下のような内容になる。
●モンタージュは、映画用語で、視点の異なる複数のカットを組み合わせて用いる技法の事。
●元々はフランス語で「(機械の)組み立て」という意味。
●映像編集の基礎であるため、編集と同義で使われることも多い。
「フィルムのつなぎ合わせが独自の意味をもたらすことは、映画の創生期から知られていた。」
「女王メアリの処刑(1895)」:撮影途中でわざとカメラを停止する「中止め」を用いて、首がギロチンで落ちるショッキングな演出を行った。
「月世界旅行(1902)」:最後のシーンでは「コマ撮り(Stop-Motion)」のアニメーションを実現している。
そしてモンタージュには2種類ある。
●エイゼンシュタインにより使われた「エイゼンシュタイン・モンタージュ」
●D.W.グリフィスにより使われた「グリフィス・モンタージュ」
<エイゼンシュタイン・モンタージュ>
構造主義
台本の言語的要素を映像に置き換えて編集していく手法
(脚本の要素を言語的に分節化して人為的に部分カットを組み上げていく)
ポチョムキンの「オデッサの階段」がその典型
メッツの映像記号論に継承され研究されていく。
フランシス・フォード・コッポラ
<グリフィスモンタージュ>
複数のカメラで実際の演技を同時多面的に撮影(マルチ・カヴァレッジ)、
その時間的長さはそのままで、様々な視点を取り入れて線形に編集していく。
グリフィスの「イントレランス」のスペクタクルシーン
黒澤明の「七人の侍」の戦闘シーン
テレビの生中継などでも、よく使われる。
スティーブン・スピルバーグ、黒澤明。
ハリウッドの標準編集形態
最近の映画では突然映像がスローモーションになったり、普通の速度に戻ったりしながら全体としては1つの切れ目のないショットになっている映像がよくあります。
「300(スリーハンドレッド)」などがそうですね。
ある場所では何が起きているのか把握できないほどカメラが早く動き、そして急にスローモーションのようにゆっくりになり、そしてまた急に早く別のアングルへ移動し、そしてまたスローモーションになるというような演出。
カットとカットの切れ目がつながっているのでモンタージュとは言えないが、もしその合間が目まぐるしくかわり普通の人では何が起こっているのか理解できないほどなら、スローモーションの部分こそが意味を成す映像となり、モンタージュで引き起こすような効果を起こす可能性があるという点で自分としては、グリフィスモンタージュの発展型なのかなと思っている。
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実際のモンタージュについて映像をみながら考えてみた。
「戦艦ポチョムキン」
50:05あたりにジャンプすると、有名なオデッサの階段での虐殺シーンがある。
ぼんやり見てると映画に引き込まれてしまうので、注意してみる必要がある。
●階段を走り下りる群衆をとらえるワイド・ショット
●倒れた子供のアップ
●女性のクローズアップ
それぞれは被写体、カメラ位置、アングルなどは異なっている。
ようするに映像としてみれば別々の物である。
これを、短く切り、つないでいくことで、一つの映像では出せない意味や効果を出している。
こう説明されてもわかりにくいが、
女性のクローズアップだけをとりあげて、それが一本の続いているショットだと仮定する。
大きな口をあけ、驚き、取り乱す。
何か起きているのはわかるが、この映像しかなければ何がおきているのかは見る側の推測によっていろいろと意味が変わってくる。
このショットの前に、この女の人がみていると仮定する映像をもってくることによって、その意味を意図的に観客に伝えることが出来る。
たとえば
●くさったパンの映像
●牙をむく狼の映像
●にっこり笑った子供の映像
●割れたコップの映像
これらをたとえ静止画でもよいのでこの女性のアップの前にもってくると、たちまちそれに続く女性のショットからうける印象が変わってくる。
これがモンタージュ技法のもつ意味だと自分は解釈している。
それぞれのカットを区別してみると、一見、関連性がないように見える映像も、つなげてみることによって新しい意味が生まれる。
注目すべきは、新しい意味が生まれるだけでなく、より複雑な意味や感情を表現できると言うことだ。
実際のこの一連のシークエンスをみると、子供が大衆に巻き込まれて死んでいく。
そしてそれを目撃した母親のショックと、感情の変化、逃げ惑う人の流れのもつ無慈悲さとの対比、無念さなどを感じる。
また映像の流れにメリハリやリズムさえ感じさせられる。
最近の映画では、個々のカットの中身も演技や動きがつながるように配慮されており、このモンタージュの切れ目があまり感じさせられないようになっていることが多いが、意図的に関連性がないようなカットを使い、そこから観客に深い意味を感じさせることも未だによく使われている。
-----------リンク-----------------------------
<戦艦ポチョムキンとモンタージュ技法>
『戦艦ポチョムキン』(1925)完璧なモンタージュと映像表現の巧みさ。(ブログ:良い映画を褒める会。)
http://yojimbonoyoieiga.at.webry.info/200605/article_20.html
モンタージュ技法と戦艦ポチョムキン(ブログ:映像を楽しもう!!)
http://hiday.jugem.jp/?eid=194
エイゼンシュテインのモンタージュが世紀を超えて評価を受ける理由。(サイト:Cinema Scape)
リンク切れ:
山田和夫さんと見るモンタージュ技法は映画の源(ブログ:アート・アニメーションの小さな学校ができるまで)
http://www.laputa-jp.com/school/open/yamada/index.html
モンタージュ(サイト:Edius.jp)
http://www.edius.jp/cre_lab/edit01.html
モンタージュ理論(ブログ:社会学しよう)
http://shakaigaku.exblog.jp/6266500/
動画で学ぶ映画史(3)―エイゼンシュテインのモンタージュ理論(ブログ:Communication Breakdown)
http://d.hatena.ne.jp/helpline/20081016/p1
シーンが変わるときの手法について(サイト:教えて!goo)
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1928457.html
<ストライキ>
ストライキ(サイト:シネマ・マガジン)
http://cinema-magazine.com/old_page/kansou/strike.htm
リンク切れ:
リンク切れ:
<その他>
まんがと映画における物語と表現方法の関係(サイト:神戸芸術工科大学)
http://kiyou.kobe-du.ac.jp/08/thesis/04-01.html ―――――――
モンタージュとは関係ありませんが映像表現ということで「タイム・スライス」についても書いていますので興味あったら是非ご覧ください。
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