最近、CG系の仕事に就きたいので学校はどこへいったらいいかという進路相談を親戚縁者からうけることがあった。
まぁ高校生なので、わからないことも多いだろうとは思うが、それにしても何かが違うとずっと感じていた。
ただCG系の仕事に就きたいだけなら大学に行ってまでやる必要はない、そもそも学校へ行くこと自体にそれほど意味があるのかどうかも疑問に感じる事がある。
技術的なことを学ぶには学校は申し分ないと思う。
それには同意できる。
しかし、相談してくる親も子も、進路をちゃんと選び大学(または専門学校)で学べば、将来安泰のようなそんな意図が感じられる。
そもそも映像作品とは、クリエイティブな仕事である。
無から有を作り出す仕事である。
そして、何もないところから、何かを作り上げるには、並大抵以上の労力が必要である。
これらのことは、経験がないからと言えばそれまでだが、やはり学校教育に対しての大人の考え方やとらえ方の悪影響があるのではないかと感じてしまう。
学校とは何かを学ぶ所ではあるが、本人に変わって何かが出来るようにしてくれるところではない。
簡単な例で言うと、靴を履くのに履き方をおしえてくれるが、履く動作をするのは自分だ。
学校に行けばそれができるようになると思っているのは、
靴を自分で履く人を見て、かっこいいと思ったから学校で教えてもらえばできるようになると思っているような物だ。
例がわかりにくくなったが、ようするにかっこいいと思ってやりたいのなら
なぜ「今」、「自分」で「出来る」ことを「やらない」のか?
まるで何もしてないし、学校に入るまで何も出来ないと思っているのかわからないが、熱意が感じられない。
そんな調子では、無から有を作り出すようなハードな仕事はできない。
学校へ行っても言われた課題をそつなくこなし、きちんと勉強することは想像に難くないが、それでは真のクリエイターにはなれないとは思う。
せいぜい学校でも多種多様な勉強に追われるだけ、そして就職しても仕事に追われるだけ、いつかは自分の作品をと永遠に考え続けて、一生を終るのかもしれない。
クリエイティブな仕事には、好きでなければ出来ないほどの多大な労力が必要となる。
これは何もCGや映画に限ったことではなく、何かプロジェクトを作り実行し完結させるまでのことにはすべてあてはまり。
それは無から有を作り出すことであり、クリエイティブと言われる所以である。
そして、それには多大な労力を注ぎ込むことが必要となるのである。
そのあたりをわかっていなくて、何が作り出せるのだろうか?と疑問に思う。
また行動を起こさないのにクリエイティブなことを本当に求めているのかと疑問に思う。
そのことがわかっていない=クリエイティブとは何かがわかっていない
ということではないかと思う。
まぁ自分も高校生ぐらいの時はそうだったんだと思うし、本人もちょとしたあこがれ程度の気持ちでまさかそこまで大変なことを聞いているとは思ってもいないのだろう。
しかし、気に掛かるのは、本人よりも学校の先生や親が、大学などで学べば、少なくとも就職できる程度には、なんでも出来るようになると思っているからだと思う。
実際には、そういった大人自身が無から有を作り出すことの楽しみを知らないのではないかと思う。
本当にその楽しみと苦労を知っている大人であれば、もっと違うアドバイスができただろうと思う。
とりあえずフォローは入れるつもりで、厳しい答えをしておいたが、それでもピンと来ていないようでもどかしい。
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