Wikipedia によると「不気味の谷現象」はもともとロボット工学からきており、以下のような説明がある。
” このような、外見と動作が「人間にきわめて近い」ロボットと「人間と全く同じ」ロボットによって引き起こされると予想される嫌悪感の差を不気味の谷と呼ぶ。人間とロボットが生産的に共同作業を行うためには、人間がロボットに対して親近感をもちうることが不可欠だが、「人間に近い」ロボットは、人間にとってひどく「奇妙」に感じられ、親近感をもてないことから名付けられた。”
”この現象は次のように説明できる。対象が実際の人間とかけ離れている場合、人間的特徴の方が目立ち認識しやすいため、親近感を得やすい。しかし、対象がある程度「人間に近く」なってくると、非人間的特徴の方が目立ってしまい、観察者に「奇妙」な感覚を抱かせるのだ。”
”この現象は次のように説明できる。対象が実際の人間とかけ離れている場合、人間的特徴の方が目立ち認識しやすいため、親近感を得やすい。しかし、対象がある程度「人間に近く」なってくると、非人間的特徴の方が目立ってしまい、観察者に「奇妙」な感覚を抱かせるのだ。”
これはようするに「人間型」である対象について言われている現象で、正式には他の物にはあてはまらない。
しかしこの意味を拡張して考えた場合、その根本にあるのは、「本物に近いが、本物とは違う要素があるために違和感を感じる」ということだと思う。
たまたま「人間型」においては、より親しんでおり、しかも通常は生きた人間に接しているので、その違和感を感じやすいだけだと思う。
まぁ、簡単に言えば「違和感」という言葉に帰結するとも言える。
ではVFXにおいてはどうだろうか?
フォトリアルな車やロボットでも、ちょっとしたライティングのミスマッチや、色合わせの違い、リフレクションやスペキュラの違いから、違和感を感じることはある。
アニメーションを不自然に感じる事はよくある。
しかし、多くは見慣れていないために、そういったものかと思う事も多い。
破壊系に関しては、材質による動きや、振る舞いの違いが実物とは違うこともある。
爆発などでも、破片の飛び方や砕け方、土煙の出方、炎の振る舞いなどは、かなりのケースで実物と違うだろう。
前コンピュータのSFX時代にもどれば、火薬の調整でそれらのエフェクトを作成することになるが、コンピュータでシミュレーションしたものではないので、良くも悪くもリアルである。
コンピュータ時代にいたっては、それらはシミュレーションなどに頼ることが多く、本物に近づける努力はしているもののすべての力学を計算して作られているわけではないので、当然ながら偽物感がでる。
破片がプロシージャルで作られているので、どれもが同じ大きさにみえたり。
破片の隙間から生じるパーティクルの出方が少し不自然だったり。
煙や炎が破片と相互作用してなかったり。
破片があり得ない方向へ飛んでいったり。
破片に炎の照り返しや煙の影がなかったり。
モーションブラーのかかり方が本物とちがったり。
破片のアニメーション や車が破壊するときのパーツのアニメーションが実際にはあり得ない物だったりする。
炎の色合いの変化の仕方が違ったり。
どうしてもコンピューターの力に限界があるからとも言えるし、作成にそれほど時間をさかなくても観客はどうせ気づかないか、さほど追究されることでもないという判断もあるだろう。
実際VFXを見慣れていても 現物を見たことがないので、その違いを明確に指摘することは出来ないことが多い、なんとなく違いを感じるということしかいえない。
安易なエフェクツにいたっては、それがはっきりとわかることもあるが、高度な物でも見た目のおもしろさから意図的にあり得ないような振る舞いをさせることもある。
それは監督やVFXスーパーバイザーの意図的な物だ。
代表的な物では2012の破壊がそうだ。
破壊自体が、俳優の演技のように使われていて、これはCGでなくては出来ない演出だ。
しかしながら、裏を返せばリアリティーを失うことになり、これはターゲットとしている観客や映画のストーリーとの兼ね合いで、調整が必要になってくることもあるだろう。
実際の処、爆発などは、映像関係の仕事をしている人か従軍した人でなければ、花火以外にはほとんど日常でお目に掛かることはないし、VFXに関わっていない観客は、そのあたりをそれほど気にすることはないかも知れない。
なので、キャラクターほどにはこの違和感を、なくす努力はさほどされていなかったかもしれない。
実際に監督によっては、非常にこだわる人もいるし、そうでない人もいる。
これは演出に関係することなので、リアルさにだけこだわるのは映画業界では御法度だが、違和感を出してしまっては演出も過剰な物となってしまう。
VFXに長い間かかわってくると、だんだんそういうものが見えるようになってきて、細かなところで違和感を感じてしまうようになる。
こういった違和感はもしかしたらSFX時代やCG初期のデティールに限界があった時代のほうがもしかしたら、受け流すことが出来た物だったのかも知れない。
リアルさが増し、デティールが増加するに従って、エフェクツにも不気味の谷のような現象がおきているように思う。
もしかしたら「最近の映画はVFXは凄いがおもしろくない」と感じるのはそのあたりにも原因があるのかも知れない。
ようするに偽物を見せられているということを感じて興ざめしてしまう。
VFXに関わっていない人でも、感覚はするどい。
言葉で表現したり、どの部分かを指摘することができなくても違和感を感じるときは感じる。
観客は知っている。
説明できないのと、そこに存在しない(すべてがパーフェクトである)のとは違う。
CGの進歩に従い、このあたりを十分に考慮にいれていかなくてはいけない時代も来るかも知れない。
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