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2010年3月28日日曜日

夢とその実現

NikkeiBPnetの「20代で意思を育てる方法」を読んで、そうだよなと思った。
よく夢を持ちなさいとか、夢を持ち続けるようにと言うことはよく言われるが、それが現実のステップに結びつくようになるまで自分は30年以上を必要とした。

もちろん、これは自分の例であり、普通の人は「なんでやねん!」と突っ込みを入れたくなるほどのじれったさであろう。
まぁ、詳しいことは、ここではおいといてここでの話題、「夢」について、考えたことについてまとめておきたい。

先の記事のように「夢を持ちなさい」とは、小学生の頃から「少年よ大志をいだけ」という言葉に代表されるように、古今東西をとわず、アメリカでも言われていることだ。
まぁ実際、夢を持つ(なりたい目標をもつ)のはさほど難しい事ではない。
大抵の小学生はなりたいものややりたいことを持っている。


問題は、その夢を実現するには何をすればよいのかは本人に任され、助けてくれる人がすくないということだ。
おそらく大半の人が小さな時に抱いた夢をどうすれば実現出来るかわからないまま、そのうち日常にもまれて忘れてしまっていくんだと思う。

1歩踏み込んだ人は、
その夢を実現するには何になればよいのか?
どうすればなれるのか?
などを考えることになる。

さらにもう1歩踏み込み、学校へ行くなどの行動を起こすことが出来た人は幸せである。

自分が、CGを勉強したのも、映像業界で働きたい。
映画で使われているようなすばらしい映像作りに関わりたいという夢があったからだった。



しかし、夢を持つことに関してひとつしっくりとこない部分がある。それは「なりたい」という言葉で言い表すことが出来るその人の心的態度だ。

たとえば、自分が「ハリウッド映画のCGアーティストになりたい」という夢を持っているとする。
CGアーティストになるためにいろんな勉強をしなくてはという気持ちになり、
色んな人から学ぼうという謙虚な気持ちにもナルだろうし、それは必要な事だとも思う。

しかしいつまでも「なりたい」でいては、そこから先へ進まないような気がする。
「なりたい」が夢で、それをもちつづけてるだけなら「なりたい」で終ってしまう。
言い換えるなら「なりたい」は自分がそうなっていないからでてくる言葉であり、「弟子」であることを自覚する言葉である。
ようするに「夢を持つ」ということを「「○○になりたい」という気持ちを持つ」と捉えてしまうと、一生弟子であるということを宣言するような感じがする。
夢は持つ物ではなく目標とすべき物で、そこにむかって近づき追い越さなくてはいけない。
でなければ、一生「なりたい」で終る可能性もある。一生、丁稚奉公である。

言葉上の問題で、実際は違うだろうと思える人は、おそらくこのような問題に当たることはなく自分の夢に着実に近づくことが出来た人か、夢を実現するために苦労したことが無い人だと思う。
夢を実現出来るのかできないのか不安で、どちらつかずの間をさまよい続けた自分にとっては大きな問題だった。

夢を現実の物とするには以下の二つのことが必要だと思う。
1)「なりたい」と思っている今の自分ではなく、「なった」後の自分として考え、行動する。
2)一歩先を見る、現在夢見ている次を考えるようにする。


とくに最初のことは重要だと個人的には思っている。
夢を実現したひとは、多かれ少なかれ、そのようにしてきたと思うし、
夢に1歩近づくにつれて人は、このような考えを変えて言っていると思う。
これはスポーツ選手のイメージトレーニングにも似ている。
年をとって現実が見えてくるとこれは、なかなか難しくなるが、若いときは想像がつかないということもある。
普通は、自分が夢に近づくステップをあがるにつれて、少しづつこうなって行くのだとは思う。
しかし意図的にやることで、より早くステップを昇っていけるアイデアを持つことが出来るのではないかと思う。
「なりたい」には「できないかもしれない」という気持ちが入り込む可能性がある。
しかし「なった」後の自分として考えることは「なる」であり断定的決断がある。
いわば「なれるかどうか」という考えが入り込む余地がない、「なる」ことは当然の前提の立場に立つことになるので、夢が目標としてしっかり設定できる。
そこには自分の人生に対する責任もうまれてきて、より人生をコントロールできるようになるのではないかと思う。




2番目の「一歩先を見る」というのは、映画タッカーから学んだともいえる。
正確には、この映画だけから学んだわけではないかもしれない。
この手のことはいろいろな本でもよく言われていることだし、ソースがあったのだがタッカーは自分にとっては非常に印象に残った。
しかし、正確にはタッカーで表現されていることと、個々で言いたいことは異なる。
タッカーでは、詐欺師としての疑いを掛けられた裁判中に、すでに次のアイデアとなる冷蔵庫のスケッチを描いている。(このYouTube映像の4:45あたり)
もちろん、タッカーの先見性と、論理的思考からすでに裁判の結果が見えていた余裕かも知れないが、どちらにしても車の生産では失敗である。
それを物ともせず、夢が壊れても、次の夢(目標)を作りだし、それに向かって進み続けるタッカー。問題に埋もれず、ネガティブにならない。
人生のとても大切なことを教えてくれる映画だと思う。

さて先ほどの「2」でいいたかったのは
たとえば現在CGアーティストになりたいとする。
このとき、CGアーティストになったとしたら目標は達成されることになる。
目標は達成されると、たちまち力を失う。
目標は目標でなくなるのだから当然だ。いいかえれば夢を失う。
夢が夢でなくなったとき、仕事は充足し人生に満足しても、何かが足りないと感じるだろう。
そこで普通は次のステップを考えることになる。
しかし、そのときに、なって次のステップを考えていくのではなく、目標が達成出来る前からその先を考えていってはどうかと思う。
そのときは、より高い場所から自分の人生を見つめることになる。
現在やっていることが、何が無駄で何が無駄にならないかが見えてくるのではないかと思う。
それも現在の自分が夢に近づくことを加速してくれる。
もしくは冗長な作業をしていても、それからうける心的負担が少なくなるように思う。
これは自己実現や自己啓発の本などでは「大きな夢を設定する」とか「5年先、10年先の自分を考える」という言葉で言われていることだと同じようなことだろう。


このYoutube映像の0:35でタッカーが言っている
大事なのはアイデアさ、それと夢だ。

夢はずっと失ったり、色あせたりさせないようにしたい。

2 件のコメント:

  1. リンク先のコラム、そしてエントリの内容を大変興味深く拝見しました。目指していた何かになった後に何を"する"か、自分もそのビジョンが欠落していることに、ここ最近気づくようになりました。

    "なる"こと自体が高いハードルに感じてしまい、まずは目の前の壁を上ることだけに目が向いている気がします。
    何のためにこの壁に登るのか、登った後に自分はその壁の上で何をしたいのか、そもそもこの壁は登るべき壁なのか、あるいは登り方を間違っていないか・・、このタイミングで立ち止まって一生懸命考えてみようと思いました。
    『タッカー』未見でしたので観てみます。

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  2. hachiさん、コメントありがとう
    なかなか目の前のハードルが高いときに、その先を見ることは、難しいですね。ついつい忘れがちです。
    タッカーは映画のほうも興行的にはやや振るいませんでしたが、好きな映画です。
    (まぁジェフ・ブリッジスが好きなんで、ちょっと色眼鏡掛かっていますがw)

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